自分にとっての“当たり前”が誰かを傷つけている
自分の幸せが、他人の幸せとは限らない。誰かの普通や当たり前や常識が、自分の普通や当たり前や常識とは限らない。他人の幸せ、普通、当たり前、常識に触れる度、私はいつも少し傷ついて、静かに落ち込む。だって、私には足りないものばかりだから。
普通に生きていると、やっぱり仲のいい両親のもとで育って、なんでも話せる信頼できる人に囲まれて、大学を卒業して、正社員として働いて、そのうちに結婚して、子どもを産んで、家とか車とか買って暮らす、というのが当然であるという価値観に触れることがある。居場所だけは確保されていて、誰も本心では何も言ってはこないけれど、私もそういう普通の中で生きてきた人からすれば「変わった人」と言う認識なんだろう。
私も、私の普通や当たり前の価値観や考え方を振りかざすことで誰かを傷つけたりするのだろうか。気づかぬうちに、同じ思いをさせてしまっているのだろうか。
人の些細な一言で勝手に傷ついて勝手に落ち込むのをいい加減辞めたい。でも、それ以上に自分の常識を押し付けて誰かを傷つけることのないように、普通や当たり前の感覚を人に振りかざして落ち込ませることのないよう。人の機微な心の変化に気づける人であり続けたい。
Text/あたそ
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