「本当に更生したの?」不謹慎狩りをしてくる人たちへ/戦慄かなの

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最近メディア露出が増えてきたのですが、そうなると色んな人の目に晒されるわけですから色んな意見があって当然ですよね。私もそれを覚悟でメディアに出ています。

少年院上がりという肩書きが広まるにつれ、見知らぬ方から人格を否定するようなコメントが寄せられることがあります。昔の私ならプライドがズタボロになって立ち直れないかもしれないですが、最近はなぜかそれが嫌ではない。

それは私の「プライド」に対する意識や考え方が大きく変わったというのもあります。

尖っていた頃の私は、プライドが傷つくということが大嫌いだったわけだけど、プライドというのは例え理不尽な土下座する羽目になったとしても、公共の場で恥をかいたとしても傷つくものではきっとなくて、どんなにボロボロにされたとしても、ムカつく上司に必死に頭を下げながらでも、胸の奥でチラチラ燃える炎のような野望や信念などを常に想い続けるということが「プライドを持つ」ということだと思います。

私は自分の手で一人でも二人でも子どもの手助けをしたいし、居場所のない子の拠りどころをつくりたいと常に思っています。マイナスが大きければ大きいほど成功した時の振り幅も大きくなるものだというのは自分の経験をもって実感しているので「人生はナメられてナンボ」だと、皆さんにこっそり教えておきます。

更生って何?不謹慎狩りをしてくる人たち

ですが、そんな私でも最近ネットなどで言われて1番モヤつく言葉があります。それは「本当に更生してるのか」という問いに対してです。そこで私は「更生とはそもそも何だろう」とずっと考えていました。

法を犯さないことが更生なのだとしたらだとしたら、私はすでに更生している。それどころか私は十代の危なっかしい人たちに言いたい。

違法なことをして得をしたって、結局そのあとその何倍も損することになる。

それは結果捕まるからとか、因果応報とかそういうんじゃなく、実際に見たり自らの経験で痛感したこと。少なくとも非行によって幸せには絶対なれないのだ。

ただ、もし私のことを見て「キャラやコメントが不謹慎・常識的じゃない」ってことを指して更生してないということならば、そういう人に対してはこの際はっきり言いたい。

「私は一生更生しません」って。

不謹慎狩りもそうだけど、世の中のもっともらしい常識とか良識とか語る人を私は信じてない。
自称モラリストは胡散臭さの頂点を極めてるし、私のことをやたらネットで叩く人間に100クリーンな人生を送ってきた人なんているんだろうか。
マスコミもそうだけど、もっともらしいこと言っている人が正しくないことなんてめちゃめちゃあるから。ましてや、ネット上の書き込みなんてバーチャルだと思っているから。