江戸期のおっぱいが大きい女性の条件とは?

春画 1837年 歌川国芳《花結色陰吉(はなむすびいろのほどよし)》

ならば、江戸期においておっぱいが大きい女性はどんな存在なのか?

それは授乳の期間が挙げられる。『浮世絵 授乳』で検索してみると、豊かなおっぱいの女性が描かれており、どことなくセクシャルな魅力も醸し出している。たしかに友人も、浮世絵に描かれている母親が子どもに乳を与えている姿にセクシャルなイメージを抱いているそうだ。しかし、『江戸期の男性にとっては、胸は子育てのためであって欲求が向かう場所ではなかったのでは?』という仮説も存在している。

春画 岳亭春信《婦男愛添寝(ふなあそび)》

たしかに大きなおっぱいの女性は妊娠中や授乳中であったり、乳を吸うのは若衆(成人する前の12歳から16歳ころの少年)であったりする。

また、後家さんや女将さんなど、年齢を重ねた女性と若衆の組み合わせが春画でよく描かれている。年齢が離れている二人から母子を連想し、絵師によっては、“乳を吸う表現と幼さの現れ”を重ねた人もいるだろう。

春画 1814年 葛飾北斎《喜能会能故真通(きのえのこまつ)》

また、現代でも魅力と言われるウエストのくびれについても強調される絵はほぼない。
コルセットやブラジャーと言うような身体のラインを整える下着がなかったため、西洋のように胸やくびれにセクシャルな感情を抱きにくかったのではなかろうか。
女性の腰を「柳腰」と表現することがあるが、これは女性のキュッとしまったウエストというより着物越しの所作や振る舞い、着こなした身体のラインのしなやかさといったイメージだろう。

前戯での胸の愛撫

春画 1733年 西川祐信《優競花の姿絵(やさくらべはなのすがたえ)》

そしておっぱいを愛撫する表現が存在したことにも触れておく。1733年の西川祐信《優競花の姿絵(やさくらべはなのすがたえ)》の右側の図では、「ええ乳の 旦那の留守に ここでここで」と言いながら浮気相手の女性の乳を吸っている。左の絵でも男性が乳を吸っているのだが、女性は「乳のまんせずとも はやうしてくださんせ」と言っている。

春画 1836年 渓斎英泉《古能手佳史話(このてがしわ)》

江戸の後期、1822~1832年頃に出版された渓斎英泉の《閨中紀聞/枕文庫》では女性を喜ばせるための前戯のハウツーが書かれている。従来の性典物から感じるそこはかとない男性優位な視点ではなく「ともに気持ち良くなってこそ素晴らしい交わりであり、女性は男性よりも感度が高まるのに時間がかかるから、性具(ラブグッズのこと)も使ってじっくり気持ち良くしてあげよう」というメッセージがある。

ベストセラーとなった《閨中紀聞/枕文庫》は従来の和合の考えを踏まえながらも、新しい性生活の発想や圧倒的な情報量を記しており、なかでも女性の胸を舌で愛撫する方法、つまり女性のおっぱいが性感帯であることを強調している。この書物からは交わりの時に胸を吸ったり触ることは男性が幼いからであるという考えは一切存在しない。個人的に面白かったのは「口吸い」と「乳をひねる」をセットにすると気持ち良さが増すと書かれていたことだ。キスと乳の愛撫の単品よりも、セットの方が感度が割り増しされるのは分からなくもない。

オンナのおっぱいを語るということ

春画 1836年 渓斎英泉《古能手佳史話(このてがしわ)》

女性のおっぱいを語るときに浮世絵が引用されることが多い。しかし浮世絵は主に男性絵師たちの創造が盛り込まれているため、実際の女性たちの実情を断定することは難しく、同じ年代でも、大きめのバストを描く絵師もいれば、小さめのバストを描く絵師もいたる。今のマンガの表現を見た200年後の人々が「令和の時代の女性はみんな胸がかなり大きかった。なぜならマンガにそう描かれているからだ」と同じ理屈です。

しかし浮世絵など当時の資料から考察できることは大いにあり、たとえば絵師の柳川重信は春画で女性の胸を描くときは白い胸に目立たない小さな乳首を描くだけなのだが、西洋の女性を書くときは乳首を目立つように描き、着色もしていた。つまり、浮世絵では乳首の強調せず、「10代の女性なら胸は目立たせない」「年齢を重ねた女性や、子育て中の女性のバストは大きく描く」が常套表現だった。、つまり「胸が大きな10代の女性を見たい」という浮世絵の需要は世間にはなかったのかもしれないと推測できる。

江戸期の性典物や浮世絵を見ていると、後期になるにつれて女性のおっぱいが性感帯と見なされつつも、現代のような「おっぱい=エロいもの」といて表現されているものをほとんど見つからない(少なくとも、江戸時代におっぱいの形をした饅頭などの商品などは無かっただろうし、おっぱいオンリーの人形の性具は見たことがない)。それは女性のおっぱいに魅力があるか、授乳のためのものかどうかでもなく、ただおっぱいそのものに注目するキッカケがその時代に無かっただけのことかもしれない。江戸期の西洋で空前のおっぱいブームが存在していたのならば、貿易とともにそのブームも日本にやってきて、日本人もみんな乳に夢中だったのかもしれない。それならば女性たちは自分の乳を大きくしようと志し、「おっぱいが大きくなるおまじない」なんてものも存在したのかもしれない。

そして「江戸時代の女性の裸体は見慣れられていたからエロティックに感じられなかった」という見解を読むたびに、江戸時代を生きた女性たちに申し訳なく思った。そもそも女性のおっぱいは誰かを興奮させるために存在しているわけではないし、自分の体の一部なのだから。

春画 1822年 歌川豊国《逢夜雁之声(おおよがりのこえ)》

それでも今回、いつから女性の胸がエロの対象となったのか? について書きたかったのは、現代で女性の胸がエロの対象となり、そして大きさに悩む方々が多かったことと、根拠のない憶測からの江戸時代のおっぱい語りが多かったからだ。

「エロいと思われてなかった日本人のおっぱいはいつからエロの対象となった?」
いやいや、おっぱいはいつだってその人のおっぱいであり、誰かを喜ばすためのものだと全員が考える必要はないだろう。自分の裸を見て「エロいな」と気分が上がるのと、「あのアイドルのおっぱいエロくない?」とでは違うように。

自分の身体を他人と比較しない日は来るのだろうか。
少なくともわたしたちが生活するうえで無駄に悩んだり、飲むだけでバストが大きくなるなんて広告が無くなれば良いと思っている。

Text/春画―ル