そんな西洋文化の到来する前の江戸時代のおっぱい事情とは?

そんな西洋の文化がガッツリ入ってくるよりうんと昔、江戸期の女性たちのおっぱいにどのような視点があったのだろうか。

SNSや書籍でかなりの確率で言われるのが、「江戸時代の銭湯は混浴だったし、人前で授乳もしていたから女性の胸に希少性や性的興奮を感じる人はいなかった」や「浮世絵では胸は質素に描かれているから今みたいにエロいと思われていなかった」、「チラリズムが大切なのだから全裸の女性には性的興奮はなかっただろう」という意見だ。
過ぎた時代のことだからって、証拠が出てこないからって言いたい放題じゃないか。

しかし、そんなに女性の身体に見慣れているというならば、銭湯で痴漢が横行していたのはなぜだろうか。禁令により男女の湯が分けられても、女湯を覗く者もいたという話まである。江戸時代と言ってもたった400~200年前、 約260年間も続いたのだから「人前で胸を出すほどに性に関しておおらかだった」「今のような恥じらいがあまりなかった」で片づけるのはザックリしすぎている。

春画 1682年 菱川師宣《絵本まくら絵大全(えほんまくらえたいぜん)》

江戸期のおっぱいを考察するにあたり当時の文献などを調べてみると、浮世絵や性典物で注目されているのは、第一も第二にも「性器」の部分である。

春画本の序文など、当時の読者に向けて書かれた文章を読むと総じて「交わりはこの世の全ての創造のはじまりであり、おめでたいものだ。貧しい人でも、身分が高い人でも平等にあるのが性である」と書かれている。その繁栄の源となる性器に重きを置くのは自然なことであろう。

性器は十人十色。バストは???

春画 1686年 吉田半兵衛《好色訓蒙図彙(こうしょくきんもうずい)》

性典物についてもおっぱいの種類や特徴について細かく書かれた文献を見たことがない。
決まって語られるのは、男根やワギナの大きさなどの見た目である。

子孫の繁栄が重要であるため、性器の見た目や形状から「好色であるか」「年齢は若いかどうか」「感度が高いか」「交わったときに気持ち良いか」「精力は高いか」をジャッジする文章が性器の絵とともに添えられた。

春画 1822-32年 渓斎英泉《閨中紀聞/枕文庫》

渓斎英泉は性典物の中で、西川祐信が描いた“美人の身体の条件”を引用している。美しいおっぱいの条件は「雪白平胸相(せっしょくへいきょうのそう)」とあり、色が白く平らであることが良い――ちなみにこの美人の条件とは、若さとの表裏一体を意味している。
しかし、この《閨中紀聞/枕文庫》でも性器については男女ともに十人十色様々であると書いているだけで、おっぱいに関しては触れられていない。

これはわたしの仮説なのだが、浮世絵で女性の胸の豊かさを強調しないことの理由に、女性の若さと服装の文化が考えられる。当時、初潮の年齢は13歳頃で、結婚の適齢を迎えると考えられていた。そのため結婚する年齢も現代よりうんと若いうえに、現代のように栄養が豊富に摂取できるわけではないため、そもそも強調されるほどに大きなおっぱいの女性は少なかったのではなかろうか。