「おっぱい」は一体誰のもの?春画から見えてくる意外な真実/春画―ル

おっぱいはいつからエロの対象となったのか?

春画

このコラムのリンクをポチってここに来てくださった諸君たちは、おそらく「おっぱい」に関心がある方々だろう。

みなさんは、自分のおっぱいがもっと大きかったら良かったのに! と思ったり、誰かのおっぱいに魅力を感じたことはありますか? それは何故でしょうか?

今回は「女性のおっぱい」にフォーカスして、その価値観やおっぱいにまつわる歴史の探検をしてみようと思う。きっとあなたが知らなかった歴史があるはずだ。上半身にある左右の膨らみに対する考えが少しでも明るい方向に変化していけば幸いだ。

春画 磯田湖龍斎 欠題艶本

今回はむしろあまり語られることがない江戸期のおっぱいについて詳しく掘り下げていくが、その前に西洋の文化が大きく入ってきた日本で、どのようにおっぱいにまつわる文化が変化していったかをサラッと駆け足で説明します。

わたしたちがブラを身に着けるまで

アメリカにおける先史時代から発掘された女性像は、どれも大きな乳房と腰回りを強調した豊満なものだった。そして古代ギリシアでは、女性の体は柔らかな曲線を持った優美さが魅力的だと思われた。しかしながら当時の彫刻等を見ると、女性の肉体の豊かな曲線を描いていても、それらの芸術品は大きな乳房を表現していなかったようだ。

中世のヨーロッパではキリスト教の影響が強く、性は淫らで「悪」という発想からセクシャルさを感じさせない貧弱な肉体の方が尊ばれるようになり、巨乳は卑しいものとされていた。そしてキリスト教の支配から解放されたルネサンス期になると、その反動から女性らしい肉体を肯定的に捉えられ、ふくよかであることが喜ばれたが、それでも乳房に関しては小さく白くりんごのように引き締まっている方が美しいとされていたようだ。

この世にブラジャーの元祖ができたのは、1889年。コルセットのように下から乳房を持ち上げるのではなく、肩から紐で乳房を吊り上げるというアイディアを用いた「コルスレ・ゴルジェ」が作られた。1913年にはアメリカ人女性メアリー・フェルプス・ジェイコブ氏によりブラジャーの原型となるものが考案された。そして、1939年には谷間が新たなエロティックゾーンとなり、50年代から60年代にかけてのアメリカはグラマーの黄金時代とも言われている。

この時期は欧米、特にアメリカの文化が一気に入ってきている時期であることを忘れてはいけない。日本では1949年にワコールの前身である「和幸」から発売されたプラパッドが流行るが、これは日本人の女性の胸を誰しもが均等な美しい胸にするものであり、それぞれの女性にあった正しい大きさの胸に近づけるものではなかった。

そして、1950年頃からアメリカのブラのサイズを日本人の女性に合わせたものが作られ、女性たちを快適と、それぞれの体型に合った美しい胸と際立たせるアイテムとして発展していく。1956年には日本の女性に下着を身につけてもらうためにブラジャーやコルセットの広告が出て、一般の女性にも普及していった。洋装になることで女性も胸に意識がはたらき、自分のバストサイズを明確にし、形をきれいに整えるようになったのであろう。この頃は日本人のモデルや女優も胸の大きな女性たちを映画や写真でみることができ、後にグラマーブームも到来したようだ。

春画 西川祐信《翠簾の内(みすのうち)》

と、1950年代まで駆け足でたどってきたが、この後1960年代後半から70年代前半にかけてウーマンリブ運動が日本でも起こり、胸をブラジャーから解放しようという声もあった。しかし現代ではノーブラで出歩いてると、やはり『やばい人』だと思われたり、ハレンチだと思う価値観が多いであろう。

わたしは体調が優れないならブラを付けない日もある。「ブラしてないと歳をとったら垂れてくるよ」と余計なお世話だと言いたくなることを言われた方もいるだろう。