ハウツーに熱狂する私たち
女性向けアダルト動画の人気ジャンルの一つに、ハウツー動画がある。
女性向けアダルト動画サイト「GIRL’S CH」の場合、プロデューサーの田口桃子によれば、「ふつうのAVって公開日の再生回数が、多くて1万回くらい」だが、「ハウツーものだと5万回、10万回いくこと」があるという。
SILK LABOが初めて発売したDVDである『Body talk lesson』、『ファインダーの向こうに君がいた』も、前者は分かりやすくハウツー動画であるし、後者も実はハウツー性が宿っている。ドラマテイストの作品だが、4度の性行為シーンを通じて主人公の女性がテクニックを磨いていく内容になっているのだ(この点については次回詳しく論じよう)。
また、ここAMでも、SILK LABO作品では『ファインダーの向こうに君がいた』、『Body talk lesson for couples』がよく売れていると聞いている。
AVに限らず、他のセックスメディアもハウツーものは人気が高い。
コラムに関して言えば、AMでも「素敵ビッチのたのしい性活」、「体位の新48手!愛と快感のLOVEポジ」は人気の高いコンテンツであるようだ。
その人気にあやかって私もハウツー記事を書いてみたいものだが、「どんなセックスやオナニーが気持ちいいか」といった問いは私の研究の範囲外である。
むしろ私の研究は、ハウツーについてメタ的に論じること、すなわち一歩引いて外側から冷静に見つめることを目指している。
約30年前の本だが、社会学者の内田隆三は『消費社会と権力』という本のなかで、「気持ちいいセックス」に熱狂するこの社会に関して、ずいぶんと早くから鋭い考察を残している。
〈性〉行動の実体に関する研究や調査が繰り返されるが、その重要な焦点として、オーガズムの有無が問われることになるのである。だが、この快楽への問いかけのなかで、オーガズムの意味より明白なのは、そのオーガズムを得るための教育や人為的な努力の数々のほうであろう。オーガズムは純粋単純な快楽=遊びどころではなく、その成否が性格の不一致という愛情の問題あるいは性的能力と一体化した人格の問題にまで結びつけられるほどに、重要な仕事として観念的な拡大を遂げていくのである。(230-231ページ、強調筆者)
つまり「カラダの相性が大事」「愛のあるエッチが一番気持ちいい」というような社会通念、あるいは冷感症や勃起不全への恐怖が社会を満たし、我々はその呪縛から逃れられなくなる。
オーガズムに達するということやどれだけ気持ちよかったかということは、単に筋収縮や脳波で測れる以上の社会的な意味をもち、社会は「イけ、イけ」と我々を急き立てて焦らせるのだ。