なぜ私が食べ物に対し変態になったのかというと

私も食べ物とは割と破天荒な交際をしている方で、何度か言ったかもしれないが、朝昼は固形物を食べない。
飲み物と、昼に「一日に必要な栄養素が取れる」という、合法な白い粉を牛乳やココアに溶かしたものを取るだけだ。
夕飯は、夫には普通に不味い飯を作り、自分はレトルトパスタそしてお菓子を食べている。

何故食べ物に対しこんなに変態になってしまったかというと、御多分に漏れず「ダイエット経験」があるからだ。

朝昼食べないのも「この時間に食ったら0.1トンぐらいになる」という強迫観念が残っており、夜にパスタとお菓子しか食べないのも、昔食べることを過剰に我慢した反動で「もう残りの人生好きな物だけ食べる」という方針になってしまったからだ。

しかし、今でも体重や体形を気にしているか、というと「していない」のだ。
昔は毎日体重計に乗ってグラム単位に一喜一憂していたが、今では体重計に乗るのは健康診断ぐらいであり、服装などに関しても「俺が服に体系を合わせるんじゃない、服が俺に合わせるんだ」というスタイルである。
しかし、体重に対する執着が消えても、食に対する執着は消えないのだ。

片や、夫は生まれつきずっと痩せており、おそらく「ダイエット」など考えたことがないのだろう、食べ物に対するこだわりのなさはここから来ているのかもしれない。

BBAになってから、他人の目が気にならなくなり楽になった、という人は多い、実際ダイエットなどのルッキズムの呪縛から解き放たれた人は多いと思う。

しかし、その時の後遺症というのは肉体的には消えても、精神的にはそうそう消えるものではないのだ。

よって、自分の家族やパートナーを食べ物に対し異常性癖者にしたくなかったら、決して体型のことでいじってはいけないし、メディアも悪い意味で日本をこれ以上「HENTAI」にしないためにも、痩身至上主義報道はやめた方が良い。

個人の感想で言うと、痩せてもモテなかったし、自己肯定感も大して上がらなかった、そして残ったのは、割と不自由な特殊性癖である。

どれだけ太ったって、それを受け入れるウエストゴムパンツはいくらでもある。
健康を害したり、部屋に入れなくなったり、バスタブに完全にはまった、という場合以外の過剰なダイエットはただの特殊プレイだと思おう。

Text/カレー沢薫

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