ワンオペ育児で冷え切った夫への想い、なぜ修復できたか/高橋ユキ

カップルや夫婦にとって便利なサービスやガジェットは年々増え、家事分担や予定調整など、ふたりの生活をスムーズにする活用方法も広まってきました。
ただ、急に二人の間に新しいシステムを導入するのも難しい…! この連載では、表に出づらい、二人の問題にそもそもどう向き合って解決したか、までの流れを語っていただきます。

完璧な人間なんていない

高橋ユキさんのお話

育児中の女性の画像 Tanaphong Toochinda

9月に『つけびの村』という書籍を晶文社より刊行してから、イベントやインタビューに追われる日々を送っていた。AMの編集者に初めてお会いしたのは、その刊行イベントのひとつ、『ノンフィクション万歳!』終了後のことだ。翌日、彼女から届いた執筆依頼メールに、目を疑った。私はこれまで刑事裁判や事件について記事を書くことを続けてきたにもかかわらず「夫婦」について書いて欲しいというのである。

私と夫との関係に興味があるのは地球上で彼女だけではなかろうか……? しばらく悩んだが、ご依頼を受けることにした。当の夫が、乗り気になったからだ。彼女の依頼内容にも、夫が乗り気であることにも驚きしかないのだが、「こんなふたりが夫婦としてやっていけているのだから、私も大丈夫」と思ってもらえれば……そんな気持ちで、筆を進めてゆきたい。

5歳年下の夫は雑誌ジャーナリズムの現場に長く身を置いており、同じ業界の人間といって差し支えない。彼はとにかく忙しく、土日も仕事をしている。一週間に一度は会社に泊まる。一緒にいれる時間はとにかく少ないが、束縛が嫌いで自分の時間がたっぷり欲しい私にとっては、それが却って都合が良い。何より、彼のいいところは細かいことを気にしないこと。ネガティブ思考の私が、愚痴交じりに仕事のことを相談すると「面倒くせえ」「そんな話やめとけ」「それいいじゃん」のだいたい3つの答えしか出さないところが、シンプルで気に入っている。また、元運動部仕込みのフィジカル・メンタル両面の強さが半端ないところも、長くうつ病に悩んでいた自分と正反対で、気に入った。

それを強く感じたのは、まだ夫とは恋人だった時代の『脅迫状事件』でのこと。宛先人不明の脅迫状が当時の私の家に届いたのだ。怖がりながら彼に相談したところ、一緒に怖がってくれるどころか「ほっとけ」と言って、なんと眠ってしまったのである。そんな、ある意味ポジティブで細かいことを気にしない彼となら、楽しく過ごせるのではと思い結婚を決めた。ところが子供が産まれると暗雲がたちこめる……忙しすぎる彼は当初、子育てに全くコミットできなかったのである。

これをやって劇的に変わった…はない

産後一ヶ月経たないうちに夫の長期出張が続いた。戻って来ても、独身時代と変わらぬ生活。同業者らにお祝いと称した飲み会を開いてもらったり、子供がいない頃と同様に会合を入れまくり、真夜中の帰宅が続いた。夜泣きする息子に気づくこともなく爆睡。完全なるワンオペ育児に私の心と体は疲弊。寝ている間に殺してやろうかと思ったのも一度だけではない。だが息子にとって親が犯罪者になってしまうのは忍びないと、踏みとどまった。とはいえ別居を提案したことはある。その後、徐々に夫の態度は改まった。

さて今回のコラム執筆にあたり、夫にも取材を行った。彼は最近ようやく飲めるようになったホットコーヒーを飲みながら、当時態度を改めた理由をこう振り返る。

「いや、離婚されそうだったから。俺が証文みたいなものを書いたんだよね。『会合に行っても必ず24時に帰ります』みたいな。そこまでやらないと俺は捨てられるなと。たぶん別居を切り出されたのは、俺が酔って帰って朝まで家の外に寝てたときじゃないかな。その直前にも、近所の焼き鳥屋から出禁くらったりしてたし。店を出て出入り口の引き戸を閉めた時、窓ガラスが割れたらしいんだよね。しかも悪いことに3日前に替えたばかりだったらしくて。やばいなと。酒癖が悪いうえに深酒して、家族だけでなく周囲にも迷惑をかけてきたけど、そのときは本気を感じてやばいなと。任せきりだったなあと反省した」

実は辛すぎて当時の記憶があまりないのだが、おそらく私はその頃、どれだけワンオペ育児が大変なのかということと、酒癖の悪さについては、きちんと説明しなければ男性にはわからないのだと感じていたように思う。酒癖の悪さが将来、息子をも苦しめることになると言い続けた。上記コメントの通り、彼も、何か考えを変えたきっかけがあったようだ。しかし、こちらとしては〝これをやったから、劇的に関係が変わった〟ということはなかった。