「妻という表現者の前に屈してしまった」トイピアノで話題になった夫婦/戌一

カップルや夫婦にとって便利なサービスやガジェットは年々増え、家事分担や予定調整など、ふたりの生活をスムーズにする活用方法も広まってきました。
ただ、急に二人の間に新しいシステムを導入するのも難しい…! この連載では、表に出づらい、二人の問題にそもそもどう向き合って解決したか、までの流れを語っていただきます。

最高の猫だと思えばいいんだよ

戌一さんの話

ピアノを弾く女性の画像 Gabriela Pereira

妻の「トイピアノ演奏」動画により、ごく一部でにわかに、私たち夫婦が話題になったようであるが、出会った頃は二人とも「絵描き」を名乗って活動していた。思い返せばもう8年前になるだろうか……通り掛かりにふらっと入った個展会場にて、作家本人である妻と出会い意気投合し、おそらく互いに惹かれ合い、そのまま私の家で一緒に暮らしはじめた。

「なんて運命的な出会いだろう!」という見方もあるかもしれない。実際、人に馴れ初めを話すとそう言われることも多かった。しかし偏屈な表現者、つまり社会性の欠如した二人が生活を共にするということは想像するほど単純なものではなく、それは私にとって長き苦悩の日々の幕開けであったのだ。

そもそも「絵描き」などという者は、社会経験もないくせに自意識だけは肥大しており、他者に合わせることが苦手な人種で……というと語弊があるかもしれないが、当時の私はそういう未熟な人間であった。よせばいいのに「二人で一枚の絵を仕上げる」などとうそぶき、「なんでその線を消すかな」とか「小さくまとまりすぎていてつまらない」とか、互いに互いの批判を重ね、一枚のキャンバスに向かい合っていたのである。今思うと正気の沙汰とは思えない。

そして束の間の蜜月を過ぎると、事あるごとに意見が食い違い、その諍いは日常生活にまで波及し、日々の衝突が絶えなくなっていた。妻はどうかわからないが、私は徐々に憔悴している実感があった。「ぶつかってばかりで大変だ」と思わずこぼした愚痴。しかし、共通の知人(猫好きの女性)から「最高の猫だと思えばいんだよ」とたしなめられたことが転期となった。

以降、思うがままに行動し、何を考えているかわからないと思っていた妻が、もはや猫にしか見えなくなり、ある程度の意見の相違は受け入れられるようになった。元より別の個体、別の生き物なのだから、理解し合っていると思い込んでいるだけで、真の相互理解など望むべくもない。相手が人間であろうが、犬であろうが、そして猫であろうが、自身のとるべき態度は変わらないはずだと思えた。

しかし、それで万事解決、順風満帆というわけにはいかない。衝突を避けるコツは掴めたが、やはり表現活動を行う者同士、どうしても表現上の主張はぶつかる。そこは人だろうが猫だろうが、譲れないものもあるのだ。「それなら一緒に活動しなければいいだろう」と思うかもしれないが、当時の私たちにその選択肢はなかったのである(その話はまた別の機会に)。表現純度は高いがただひたすらに苦しい年月を経ているうちに、大きな転機が訪れた。