人は大きく分けて「決める人」と「決めてほしい人」になる話

自由がありすぎても困る社員

彼女が彼氏を引っ張っていく画像 Yoann Boyer

会社を始めてから、中小企業の経営者と話しをする機会に恵まれるようになった。
彼らと何度か決定権のさじ加減について話題に出たことがあるが、大概同じような意見でまとまることに気づいた。

締め付け過ぎても社員が息苦しくなるし、あまりに自由に決めさせても苦しくなる。
適度な自由が大切だと皆言う。

例えば、会社の予算を無限に使う自由が社員にあったとしても「え、自由に企画進めていいって言われても困る…」と楽しさよりも不安が上回る人は、少なくないと思う。

決定することには少なからず責任が生まれるからだ。
うまくいったら手柄かもしれないが、うまくいかなかった時は「この人が決めたことだ」と言われてしまう。

責任を自由と比べ、大したことないと感じるか重荷だと感じるか。
ストレスの感じ方がそれぞれ違うため、自由の受け取り方に差が出るのだ。

決めて欲しい人、決める人

我が家のゴリラは、基本的に私に意見を求めてくる。

例えばデート中にどこで食べるかという話になったら、最終的に候補を絞った末に「ねこちゃん(私のことである)は何が食べたい?」と決断を私に任せるのだ。
私は、じゃあここ!と決めてしまう。

しかし、「何食べる?」とデート相手から聞かれるのが嫌いな女性も多いと思う。
決定力がないだとか、頼りないとか、調べてないんかい!と思うのだろう。
私も若い頃は、レストランで「この店は子羊のローストが絶品でね、このメルローとすごく合うんだ」などとオシャレにリードされてみたいと夢見ていたこともあった。

ゴリラは正直、そんな夢を見ていた女の夫とは思えないような結婚相手だろう。

しかし現在、ゴリラは私に決めて欲しくて、私は私の好きな食べ物を選べばそれでいい。
つまり彼が『決めて欲しい人』で、私は『決める人』として、関係が成り立っているのだ。

ちなみにこれはレストランに限ったことではない。これまで大なり小なりの決定を私は任されてきた。
今の家を購入する時も、最終的なGOを出したのは私だったりする。