あの32歳腐女子は落ち込む必要があったのかどうか「夫婦と身だしなみ」

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今回のテーマは「夫婦と身だしなみ」だ。

それとは直接関係ないのだが、最近ネット上で「32歳腐女子」の手記が話題になった。

32歳腐女子はその名の通りゴリゴリのオタクだが、どちらかというと身だしなみにも気をつけている方、と自分では思っていた。
しかし、同年代のオタク仲間と会食することとなり、他のメンバーの落ち着いた佇まいを見て、ファッションを中心として、経済観や言動があまりにも子どもじみているということに気付き、酷く落ち込むという内容である。

それを見て多くの身に覚えのあるいい年をした女オタクが軒並み食欲をなくし、ますます飲食業界が不景気になってしまった。

その記事内で友人の一人が着ていたスカートを「ミモレ丈」と評していたことことに注目があつまり「オタクがミモレ丈なんて知っているはずがねえから、この記事はフェイク」という説まで出てきて、一時期ツイッターのトレンドに「ミモレ丈」が入っていた。

この記事が嘘か本当かは置いておいて、そういうところで揉めてしまうあたり「オタクがたくさん読んだ」というのだけは事実だと思う。

この32歳婦女子は「乳首が出ていた」というわけではないのだ、それは年以前に法律に抵触している。
おそらく陰部も出ていなかったし、風呂に入って、洗濯してある服を着て行ったのだと思う。

もし、ノットニューヨークスタイルで会いに行って、友人が途中で一人も帰らず最後までつきあってくれたというなら、その友人たちは落ち着いた大人の女性を越えて全員菩薩なので、それに被害妄想を抱く32歳腐女子は本当に猛省すべきだと思う。

つまり32歳婦女子は多少ラフながらも人間の格好をして、化粧をして、キャラアクセでオシャレするなどして友人に会いに行ったのである。
つまりそれなりにこだわりがある「自分の好きな格好」をして行ったのだ。

好きな服やアクセサリーを身に着けて恥じ入らなければいけない世の中自体がどうかしているのではないか、ということだ。

「三十路すぎた女は年相応の落ち着いた格好をしなければ恥ずかしい」という同調圧力が蔓延した日本と言う国自体がおかしい、ということである。

このように、ファッションに関しては何ら反省する必要はなく、むしろ悪い事もしていないのに謎の「反省」をして、己の好きな服を捨ててミ・アモーレ、リオの街はカーニバル丈みたいなスカートを履いたら余計「年相応の格好をすべし」という圧力が強くなるだけである、という意見も多く見られた。

つまり「乳首と陰部が隠れていて洗濯してある服なら、いくつで何着ても勝手だろう」という、声も大きかったということである。