未来のわたしは、今のわたしを許せるか?「普通」「多数派」の生き方を選択しないこと

嫌いだった“ピンク色”の顧問

by Harry Cunningham

化粧ポーチに歯磨きケース、それからブックカバー。この年齢になって、私の身の回りにはピンクの小物が増えつつある。

私にとってピンクとは、忌々しい色であり、自分のなかにあってはならない色だ。真っ先には選べない。だって、この色は持つ人を選ぶ。決して私に合う色ではないのだと。けれど、最近はその考え方もするりと抜け落ちつつある。年を取ったな、と思う。けれど、許せることが増えるのは悪くない年の取り方なのかもしれないな、とも同時に思う。

「ピンク」に対してかなりマイナスなイメージに、中学生の部活の顧問であるK先生のことをいつも思い出す。私はバスケ部に所属していたのだが、K先生が嫌いだった。というか、中学生の頃は皆が皆、自分の部活の顧問があまり好きではなかったし、「顧問が嫌い」という感情のみで、チームが一致団結していた部分もあったような気がする。全国大会常連校などであれば、また次元の違う話なのだろうが。まあ、そこそこ強い割に私も含めチーム全体が強くなる努力を常にしていたとは言えないし。こんなもんなんだろう。

K先生は、いつもどピンクのジャージを着ていた。全く似合っていない。持ち物もほとんどピンクだったし、登校(出勤?)用のスポーツカーも目にうるさいほどのピンク。おまけに50近いにも関わらず、常に前髪ぱっつんのツインテール。独身で結婚歴はなく、子どももいないようであった。そうなると、当たり前のように悪口の対象になるんですよね。「独身で子どもがいない癖に」「いい年してピンクとか(笑)」「だから結婚できねえんだよ」「男に媚び売っててキモい」とか。さらには話し方を真似してみたり、思うようなプレーができずに怒られて不貞腐れた態度を取ってみたりとか。無視したことだってあった。

中学生の頃は、結婚が当たり前だと思っていた。結婚をしない女性は、どこか変わっているのだと信じていた。周囲に独身の大人はひとりもいなかったし、たまにDINKSを選択した人に出会っても「なんで子どもを産まないんだろう。もったいないな」という疑問を純粋に持っていた。かといって、自分が結婚する未来を想像できるのかどうか、子育てや家事をしたいのかというと、気持ちは曇った。

自分の未来にはなんとなく結婚や出産というライフイベントが待ち構えていて、それ以外の生き方は想像すらできなかったからだ。おそらく、私と同世代、もしくはそれ以上の年齢の人は同じ感覚を持ち合わせていたのだと思う。

K先生だけではない。私は今までの人生で、年上の未婚女性を馬鹿にし、周囲から馬鹿にすることをどれくらい許してきたのだろう。自分が馬鹿にされる側になることだって、容易に想像がつくのに。