他人を許すことは、自分を許すことにつながる

今の私は、昔の自分がまさに「だから結婚できないんだよ」「いい年してその恰好とか(笑)」「誰もお前を選ばないよ」と揶揄していた年齢になってしまった。そして今後も、結婚や出産の見通しもつかないし、人と仲良くなって心を許す術がわからない私に、その機会はまだまだ訪れそうにない。そして、年相応の服装やメイクもわからないし、自分の好きな装いをしている。

ふと、昔の自分の無責任な発言を思い出すことがある。その度に、胸のどこかがキュッと締め付けられる。結婚している自分も子育てをしている自分も想像できなかった当時の私と、結婚も出産もできなかった今の自分を、ほんの少しだけ傷つけるからだ。このやり場のない申し訳なさと恥ずかしさは、どのように処理すればいいのだろうか。

たしかに昔の私は、ピンクの小物を持つ自分も、結婚も出産もしていない自分も、大人っぽくない自分も、想像していなかった。ついでに言えば、恋人も作らず自分ひとりの時間を思いっきり楽しんでいる自分も、そこそこに仕事を楽しんでいる自分も、海外旅行が大好きで英語の勉強をしている自分もまったくの想定外ではある。

自分が常に多数派であるとは限らない。そもそも、すべてにおいて多数派であり、一般的であることや普通を装える人ってどれくらいいるのだろうか。それこそ、わずかなのだと思う。

この世界には思っている以上に色々な人がいる。自分には全く理解できない人だけではなく、想像すらしてこなかった人もどこかに存在している。だからこそ、他人を、他人の価値観や考え方を許すことは、自分を許すことにつながるのだと思う。きれいごとなのかもしれないが。

未来の私は、今の私を許せるのだろうか。また、今は許せない部分を、いつか許してあげられるのだろうか。それがいつになるかはわからないけれど、私は常に、誰かを、何かを許してあげたいと思う。

Text/あたそ

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