今回のテーマは「夫婦とセックスレス」だ。
私は他人のセックスの話になると「やはりセックスの話か…私も同行しよう」と花京院のように現れるが、いざ自身のことに話が及ぶと黄色のオープンカーで走り去っていく、気分の悪い人間である。
よって、我々夫婦のセックス事情に関しては想像にお任せし、想像して気持ち悪くなった方から退室すると良い。
「そして誰もいなくなった」である。 このように推しカプ以外の他人のセックスなど、口出しはもちろん、想像すらするものではない。
個人的セックスのことは置いておいて、日本人夫婦は諸外国に比べて、割と早い内からセックスレスになると言われている。
日本だとビキニは、若い女しか装備できない防具と思われているが、欧米ではRJ(老女)でも平気であぶない水着をEしてる。
それと同じように、日本ではセックスも「年をとったらすることではない」という固定観念が強いため、夫婦でもある程度の年齢になると暗黙の了解的にしなくなってしまうのかもしれない。
また日本の家庭は「役割」が強い。 子どもが生まれたりすると、家族全員から「お母さん」などと役職呼びされたりするようになる。
そう周囲に呼ばれると自分も「お母さん」として振る舞わねばならぬような気がしてしまう。
お母さん像が、クレヨンしんちゃんなら「みさえはヤッてますよ」と現役を続行できるが、サザエさんをイメージしてしまうと「お舟さんがセックスるするはずがないだろ!いい加減にしろ!」となってしまい、一気に性から遠ざかってしまうだろう。
だが落ち着いて欲しい。
ワカメが小学3年生なのだから、お舟さんも少なくとも10年前まで現役選手としてマウンドに上がり、バッター波平と勝負していたのだ。
つまり、サザエさんが中二ぐらいまで、磯野家ではナイターが行われていた、ということである。
お舟さんですら「もう中学になる娘がいるのに、そんな」などとは思っていないのだ。
令和の我々が「もうセックスなんてする年や関係じゃない」などと、自分で自分に暗示をかけてしまうのは、紀元前としか言いようがない。
だからと言って「せねば」と、風立ちぬポスター状態になるのも良くない。
セックスレスは夫婦にとって不和の原因になる「よくないこと」とされがちである。
確かにレクリエーションの一環として、ウノやビンゴと同じように「セックス」が有効であることは否めない。
だが逆に言えば、セックスの代わりにウノやビンゴをやっても良いということである。
「ビンゴ!」と言ったり「はい!ウノって言ってなーい!」と相手を指さすカタルシスはオーガズムとほぼ同じである、と科学者が言っている夢を見たことがある。
それにも係らず「セックスしないと俺たち離婚だってよ」と、ウノの方が楽しいのに、無理やり乗り気じゃないセックスをするのは、逆に不和の原因になりかねない。
セックスしちゃいけない、という暗示もダメだが、しなければいけないという暗示もかけてはダメなのである。
つまり、セックスレスが良いことなのか悪いことなのかは、その夫婦による、ということだ。
レス=不仲で「即刻改善すべき」ということではない。
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