ただのソシャカスと依存症の差
私のバイトはバックれまではいかないまでも、トイレに行く際必ずスマホを持っていくため、帰ってくる頃には手遅れな額の課金が終わっているのだ。
対して夫のバイトは五郎がアームロックをかけた時点で普通に止めるため、毎日酒は飲んでも明日の仕事に支障が出るレベルで飲むことはないのだ。
それに比べて私は飲酒をしていた頃、ストロング〇を昼間から3本飲んで1日を終了させたりしていた。
酒だけではなく、私はゲームの興が乗って明け方まで起きていることもあるが、夫は23時頃には必ず寝ているし、袋菓子を食うにも私は開けた瞬間自我を乗っ取られ、空になるまで意識が戻ってこないが、夫は何日もかけて少しずつ食っている。
ただのソシャカスや酒カスと依存症の差は、生活に支障が出るレベルでそれをやってしまっているか、そして自分の意志でやめられるか否かである。
私は正直依存体質なので、もし酒が体質にあったら今頃膵臓を液状化させたり、大動脈瘤を大爆発させていたと思う。
ちなみに各種依存症は孤独な人間だけではなく、家族持ちも普通になるため「こんなになるまでパートナーは何故止めなかったのか」という話にもなりがちだが、正直家族でも依存症を止めるのはかなり難しいようだ。
何故なら「目的のために嘘もつくし手段を選ばなくなっている」のも依存症の症状である。
いくらもう酒はやめると約束させても隠れて飲むし「これはただのビタミン剤じゃ…」と言って鏡月を静脈に打とうとするため、お互いを手錠でつないで監視しない限り止めるのは難しかったりする。
しかもそんなことをしたら、電車で手錠を切断したその足で大五郎を買いに行きかねないのが依存症である。
つまり依存症を止めるというのはあまりに負担が重く、パートナーの方も心身を害してしまいがちなので、まず己の身を守るために放っておくしかないのだ。
しかし放っておく、というのはそのまま野垂れ死なせるという意味ではなく、専門家や第三者に任せた方が良いということだ。
パートナーとはいえ大の大人の行動を制限するというのは至難の業であり、家族を責めても仕方ないし、家族も自分を責めるべきではない。
つまり私が今後黄色い粉を喉に詰まらせて死んだとしても夫を責めないであげてほしい。
Text/カレー沢薫
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