大人だって泣きたくなる、だって人間だもの
まず、一つ目について。
自分の意見や気持ちを伝えようとするときに自然と涙があふれてきてしまう現象、よくわかります。
感情が高ぶると自分の意志とは関係なしに、勝手に涙が出てきてしまうんですよね。
言葉と涙腺がリンクしているというか、言葉を出そうとすると涙も一緒に出てくる感覚に近いのではないでしょうか。
そのせいで、相手に「え? どうしてこんなことで泣いてるの?」と驚かれたり、同情を誘っているつもりも泣いて誤魔化そうとしてるつもりもないのに「どうせ泣けば済むと思ってるんでしょ」と誤解されたり、「これだから女はすーぐ感情的になって嫌だ」と決めつけられたり……こっちだって泣きたくて泣いてるわけじゃない!!! と弁解したくもなりますよね。
でも、泣くのってそんなに悪いことなのでしょうか?
あなたは泣き癖を治すために強くなりたいと思っているようですが、泣いてしまうのは別にあなたが弱いからではないと思います。
わたしは自他ともに認める強い女ですが、そこそこ泣きますよ。だって人間だもの。
わたしは子供の頃、親から「女がメソメソするな」「自分の意志を通すために泣くのはずるい」「泣いても何も解決しない」「正しく伝えたいなら泣くな」などと常々言われていました。
悔しいとき、悲しいときに泣くことは何も言われなかったのですが、自分の意志を通したいときや気持ちを訴えたいときなどに手段として涙を用いる行為にはかなり厳しく怒られたのを今でも覚えています。
メソメソすんな! と口酸っぱく言っていた親に対してマイナスの感情は一切抱いていませんし、こういう風に育てられたことで功を奏した場面が多々あったのは事実です。
でも、大人になって、日常生活でつい泣いてしまったときに、改めて思うわけです。
だって泣きたいんだもん仕方なくない?! むしろ大人になってからのほうが泣きたくなること多くないか?!? いろいろあるもん!! 大人だってそりゃあ泣きたくもなるって!!!!! と。
相談文にもある通り、あなたが自然と涙があふれてきてしまうのは悔しいときや悲しいとき、そして自分の意見を相手に伝えるときの2パターンあるようです。
これからお話しすることは、あくまでも心理学のプロではないわたし個人の考えだと踏まえた上で聞いてください。
涙があふれるほど真摯に向き合っている証
まず、前者のかなしいときや悔しいとき。
こういった感情が揺れ動いたことよる涙は、存分に出していいと思うのです。
“泣きたい”という、それ以上もそれ以下もない泣く理由があるのですから、我慢するのは体によくないはず。
もちろん、わたしも泣きますよ。そりゃあもう、ギャンギャンです。
外で嫌な目にあったり腹が立つことがあったりした日は、家に帰って床に仰向けになり、シクシクやハラハラといった静かでかわいい泣き方ではなく、まるで獣のようにウォンウォンと声をあげて泣いています。
感情のままに泣くと、確実にスッキリするんですよね。
そうやって気持ちや思考をスパッと切り替えるのは、泣くのを我慢するよりも大切なことだと思います。
だから、自分の中の基準で「これは泣いていい場面だな」と思えたときは、どうぞ思う存分我慢せずに泣いてみてはいかがでしょうか。
次に、後者の場合。
この「自分の気持ちを言葉に出す」「相手に自分の意見を伝える」など、なんとなく「泣いちゃいけない」「泣かないほうがいい」と判断できそうな場面での涙は、少しやっかいなんですよね。
おそらく、「泣いちゃいけない」と思うからこそ、余計に涙が出てくるのだと思います。
「理由は言えませんが、このスイッチは絶対に押さないでください。絶対に、絶対にダメです」と念押しされればされるほど、そのスイッチを押したくて押したくて仕方がなくなる現象と似ています。
今あなたは、泣くことに対してとても敏感で、泣いてはいけないと強いプレッシャーを感じているため、より一層涙が出てしまうのではないでしょうか。
一番はじめにも少しお話ししましたが、あなたが彼と喧嘩しているときや仕事で意見を言うときに泣いてしまうのは、同情してほしいとか、慰めてほしいとかではないはず。
きっと、それだけ自分の意見を正しく伝えなくちゃという強い気持ちや、これまで頑張ってきた思い入れがあるからですよね。
だから、逆の見方をしてみたら、涙が出てしまうほど彼や仕事相手に真摯に向き合っている証拠だと思います。