恋の伏線は多いほうがいい

先日、「あの話、まだ有効かな」というメッセージが、かつて好きだった男の子から届いた。何の約束なのか心当たりがなく、「婚約でもしてたかしら…?」とドキドキしたけれど、「表参道のイタリアンのお店を知り合いが始めたから、行こうよ!奢るからさ」と私が以前誘った(らしい)件だった。オープン当初だったからそう誘ったのだけど、もうあれから5年くらい経ってるし、私1回行ったし……。と思いつつも「ギリ有効~」と返信し、しっかり奢ってもらいに行った。

久しぶりに会った彼は、今は地元でイタリアンのお店をオープンさせるために勉強中とのことで、色々なレストランをまわっているらしい。テーブルクロスがどうとか、壁に飾る絵はこうなど、私がふだん気にもしないことを楽しげに喋る彼を見ているのは幸せで、やっぱり誘っておいて良かったな、と思った。

「いや、店をやろうと思ったとき、急に君との約束を思い出したんだ」と彼が言う。約束はすぐには叶わなくても、時を経て叶うこともあるし、こうして再会のきっかけにもなる。恋の伏線は多いほうがいいだろう。

「可能性の共有」は恋愛の一番甘い部分

一方、たまに、全然果たす気のない約束をすることもある。「じいちゃんの家の近くに水族館があって、今度リニューアルオープンしたんだ。東北だから遠いけどさ、車の運転交代しながら一緒に行かない?」と初めてセックスをした男が裸のまま誘ってきたとき、ぼんやりしながら「いいよ」と言った。でも私は実は車の免許を持っていないし、すぐ車酔いするし、水族館も寒いところもあまり好きではない。マジで全く行く気はなかった。

それでもあのとき「いいよ」と言ったのは、「じいちゃんの家の近くの水族館に私と一緒に行きたい」と彼が思ってくれていることがうれしかったからだ。いや、厳密には、先方も本当に行く気があったのかどうか分からない。でも、「遠くの東北の水族館に車で行く」というイメージを私と共有したかったというのは確かだと思う。セックスの後にふたりで同じイメージを思いうかべるというのは、恋愛のなかでも一番甘い部分ではないか。

私の場合、「恋人に約束を破られた」ということで怒ったり悲しくなったりすることはまずない。私にとって恋人との約束は契約ではなく、あくまで可能性の共有なのだ。この人と、これからいろんなことをするし、いろんな場所に行くかもしれない。そう考えると無性にワクワクしてくる。

約束を果たしてもいいし、果たさなくてもいい。永遠に楽しい可能性を想像していたい。人生は希望に満ちている。

Text/雨あがりの少女