当たり前なことなのにそれができない
敗者の共通点、それが「当たり前のことができない」。
それは皿洗いだったり、お会計だったり、「ありがとう・ごめんなさい」が言えないことだったり。
この「当たり前」さえクリアすることができれば、目の前の悩みや苦しみがな無くなるのは一目瞭然なのにそれができない。なぜだろう?
旧東京編が私は好きなのですが、そのとき時登場した夏美という女優がなかなかのクセの強さでメンバーに怒られ、こう発言する。
「変わろうと思ってもなかなか変わられへんのよ……」
後からは気付けるかもしれないけど、今その瞬間無意識にやっている行動や言動に罪悪感を覚えるわけがない。
だから怒られる。怒られてやっと「これはいけないことなんだ」と気付いて、直す。
でも中には夏美のように変われなくて苦しむ人もいる。
これがリアルでないのならばなんだと言うんだろう?
現実で怒られることは滅多にない、でもテラハならボロクソに叩かれる。
テラハメンバーがスタジオと視聴者にボロクソに叩かれる……これがテラハの魅力であり醍醐味でもあるのだ。(近頃はスタジオメンバーの意見が偏りすぎているのが残念ですが)
テラハにはいろんな問題児が出てくる。
無職で働きもせずぷーたらしてるやつ、すぐ上から目線で言っちゃうやつ、女のケツばっか追っかけてるやつ、他人の気持ちを察する能力がなくてすぐ喧嘩腰になるやつ、自分のベッドで寝ないやつ、すぐ物語の主人公になろうとするやつetc,,,
「ああ、いるいるこういうやつ」が必ず毎シーズン登場するのだ。
普通に暮らしている中で、人から暮らしや生活に対する態度だとか姿勢で怒られるというのはそうそうな無い。
職場で仕事の失敗をして上司に怒られるということはありうる話だ。
でも、大人になってしまえば親だって叱ってくれない。先生ももういない。
そう、大人になってしまうと私たちを怒ってくれる「大人」がいなくなってしまうのだ。私だって友達に対して「こういうとき時はああするな」なんて説教をしようと思わないし、そもそもそんなことを言わなくちゃいけない人と仲良くはならない。
でも、テラハではスタジオメンバーや視聴者からボロクソに言われてしまう。皿を洗わないだけですぐ指摘される。そりゃそうだ、皿を洗うのはやって当たり前のことなのだから。
※テラハメンバーに直接叩きにいくのはやめましょう。誹謗中傷もやめましょう。