仕事でも「実は手を抜いていいタイプのやつ」ってありますか?/中川淳一郎

仕事のメリハリ

今回のテーマ:「手を抜いていい仕事」と「実はしっかりやったほうがいい仕事」
仕事の優先順位がわからなくて、実はそこそこ手を抜いていいタイプの仕事だったのに時間をかけすぎてしまうことってあると思います。「手を抜いていい仕事」と「実はしっかりやったほうがいい仕事」の見分け方を教えてください!

「手を抜く」というのは仕事人としてはあまり良い言葉ではなく、すべてを全力でやる必要が出てきますが、仕事って慣れてくると過去に必死でやらなくてはできなかったことがサラッとできたりもするようになるんですよね。
私にしても、散々文章を書いてきた結果、2000文字のコラムであれば30分もあれば書けるようになりました。これは「手抜き」ではなく、「効率上昇」というものです。能力が高まったり慣れたりした場合、他人からすれば「手抜き」に見えることはあるかもしれませんが、本人が手抜きをしていると感じないような仕事をしたいものです。

「手を抜いていいタイプの仕事」

さて、手を抜いていいタイプの仕事というものは、基本的には「無駄な稼働」をしているものとなります。たとえば、役所の人や大企業の人とプロジェクトを開始するにあたっては、「顔合わせの会を一度開催させてください」みたいな話になりがちです。物事が動き始める時は当然打ち合わせは必要となってくるかもしれませんが、「挨拶」のために時間を作る必要は一切ありません。

だからここは「それは必要ないんじゃないですか?」と言い、無駄な稼働を避けた方がいいでしょう。他にも私が考える「手抜きをしてもいいタイプの仕事」は以下があります。

【1】自分がいなくても成立すると考える会議・現場には参加しない

同じ部署で参加する人がいたりする場合は、その人を代表として送り出し、後で決定事項を共有するだけでいい。

【2】信用できる人がかかわる場合は「立ち合い」は不要

外注スタッフを雇っている場合、ついつい「立ち合い」をする必要があると考えるが、正直そのスタッフが信頼できる人であるのならば立ち合う必要はない。現場に行くとついつい「自分も仕事した気持ちになりたい」という欲望がムクムクと湧いてきてむしろ余計な口出しをして業務の進行を妨げる。

【3】正解が分からない気遣い・忖度を減らす

「こんなことをしたら〇〇さんに失礼ではないか……」などと忖度をし、〇〇さんの知人に連絡をして〇〇さんについての注意事項を聞いたりするのは無駄。これもせいぜい「会議で出すべき飲み物は何か?」みたいなものだったりする。水を出しておけば問題なし。
あとは、「私から直接連絡をしてもいいのだろうか?」「電話をしたら失礼ではないだろうか」と逡巡することもあるが、ここで悩むのは無駄。さっさと自分から連絡をしてしまえばいい。別に相手はそんな配慮をされたいとも思っていないことが多い。無駄な忖度は仕事の遅延に繋がる。

【4】100点を狙わない

広告業界の会議に参加すると、とにかく最高のアウトプットを出そうと長時間になり、そして打ち合わせに次ぐ打ち合わせになったりする。しかし、最終的には初期の頃にポロっと飛び出た何気ない一言が採用されたりする。「考え抜いた結果」と言うこともできたが、「そもそもその段階で採用しておけば良かったのに、と思う。さすがに50点のものを出すのはマズいが、効率化のためには78点~88点ぐらいを常に効率的に出せる程度でいい。
かつて漫画家の東海林さだお氏は自身が書くエッセイで「3割会心のものが書ければいい」といった発言をしている。あれほどの大御所であろうともそう言うわけだから、毎度完璧主義に陥る必要はない。

時々「報酬が安かったら手を抜いていいんじゃないですか?」といったことを言う人もいますが、多分それはあまり得策ではないでしょう。私がフリーランスだからなのかもしれませんが、金額によってかける手間と時間をあからさまに変えた場合、発注主は「彼は“おいしい”仕事しかしない」と考えるようになります。自分はいつ没落するか分かりませんし、その“おいしくない”仕事を出す発注主がいつ大出世するか分かりません。手は抜かないに越したことはありません。

昔面白かったのが、私がかつて編集していた雑誌「テレビブロス」が一律ギャラ5%値下げになったことがあります。売り上げが厳しい中、仕方ない面はあったものの、これに対して絶妙なユーモアでチクリと刺してくれたのが巻頭コラムの執筆者・松尾スズキさんでした。

そりゃあ不満はあるでしょう。しかし松尾さんはこの話題を自身のコラムのネタに見事に変え、ギャラ低下を愚痴りつつも、最後、コラムのスペースに不自然な余白を作りました。曰く「ギャラが5%減ったので5%文字数を減らしてみた」ということです。これは見事な切り返しですね。