恋愛は人生の必修科目ではない。自分の魅力を他者に委ねるのはしんどいから

わたしの価値はあなたが決めて?

価値判断の基準を他人にゆだねることをやめた女性の画像

はっきり言って、わたしにモテる要素はない。顔もスタイルもパッとしないし、ガサツで怠惰で自分に甘い。それでもそれなりに努力して、一応それなりの成果を得た。努力の中身はメイクやダイエットなんて外見的なものから、話し方とか内容とか、いわゆるモテテク的なものまでさまざま。「学年で一番モテる子」なんてポジションとはほど遠くても、まぁぽつぽつと恋人はできた。

周りの男性たちから女の子扱いされている瞬間が、気持ちよくなかったとは言わない。でも、それ以上に強かったのは安心感だ。彼らからの性的な魅力の評価が、そのまま自分の価値になる気がした。

当番を免れて

わたしの考えの根底にあるのは、中学時代に受けたセクハラだと思う。以前記事にも詳しく書いたが、卒業までの1年弱、クラスの中心人物Aくんから、性的なからかいを受けていた。最初は何か言われるたびに隠れて泣いていたわたしは、「でも、これは女としてアリだからだ」「『触るなブス!』と罵られるよりずっとマシ」と考えを捻じ曲げることで自分を守った。

クラスには、Aくんの気分次第でターゲットがコロコロ変わるいじめがあった。女子の間ではそれを『順番』とか『当番』なんて呼んでいて、いじめのターゲットになることを「今日からあの子が当番なのね」なんて言っていた。『当番』はほぼクラス全員に回ったが、セクハラを受け入れたことで、わたしは『当番』を免れた。

卒業式では泣かなかった。最後まで逃げ切ったことへの安堵と、「わたしは上手くやった」という達成感が体を満たした。間違いなく中学生活最高の日だった。

今考えれば、1年も続くセクハラが、せいぜいひと月の『当番』よりもマシだったとは思えない。それでも、わたしの中にAくんを恐れる気持ちはあっても、彼を恨む気持ちは不思議とほとんどなかった。

最近になって気づいたのだけど(そう、わたしは未だにこのことについて考えずにはいられない)、わたしはたぶん、Aくんに守ってもらった気分でいたのだ。強い男の子に、性的な価値を差し出す代わりに、辛いことから遠ざけてもらう。そういうのが楽で正しい生き方だと考えるようになってしまった。そして、自分に差し出せる魅力がなくなった時のことを思うと死にたくなった。