「うちらの友情守る?壊す?」男女の友情論2024

するか、しないか、だろっつーの!

演劇モデル・長井短

くだらないけどなんか一応、一年に一回は考えておきたくなること。それは「男女の友情は成立するのか?」である。「人による」としか言いようがないこの問題提起、みんなは最後に考えたのいつ? 私は昨日。なので新年一発目は、幾度となく話し合われたこのテーマを、30歳の私なりに考えようと思います。

「男女の友情」という言い方が、もはやしっくりこない。友情が恋愛に変わる可能性を孕むのは男女に限ったことではないわけだから、正確に言うのなら「恋愛対象のセクシャリティで友情は成立するのか」だろう。でも正直、これでもまだ何か足りない気がする。だって、友達とセックスするって、めっちゃエネルギー満ちてるじゃん。魔法少女が魔女になる時に爆散するエネルギーくらいどデカいエネルギーじゃないですかあれって。そんだけのエネルギーが充填されてしまった場合、正直相手が自分にとって恋愛対象のセクシャリティかどうかって関係ない気がするのだ。だから私は「男女の友情は成立するのか」という問いをまず改変したい。「友情はどうしたら守れるのか」これです、私が考えたいのは。

友情が成立「する・しない」という言い方は、やや他人行儀な気がする。自分ごととして考えていないというか、関与できない世界のことわりみたいな言い方じゃない? 昔から、この定型文に違和感があった。友情は成立「する・しない」じゃなく「させられるか・させられないか」でしょう。私たちの手に委ねられているんだから。積み重ねてきたコミュニケーション、それによって生まれた友情。それを私とあなたは、守りますか? それとも破壊しますか? 決めるのは私とあなたで、この世のルールは関与しない。

破壊と我慢を行ったり来たり

破壊したことがある。二十歳過ぎの頃だ。大好きで大切な友達と深酒をしているうちに、なぜか「アリなのでは?」って気分になって、っていうかこれ、致すほうが面白いのでは? とすら思った。結果としては、あんまり面白くなかった。そりゃもちろん、最中とか直後はそれなりに高揚感とか「ウケるな!(豪快ルフィスマイル)」みたいな気分だったけど、数日経つと虚無。たった一回のノリのせいで、これから先二人で飲むたびに、いや複数人だとしても、頭の隅に(「今日はどうなる?」)って問いが生まれる。それは、会話への集中力を下げる。やっちまった。

もちろん、破壊して正解だったこともある。体を重ねたことで更に多くの会話が生まれて、他人の奥行きの果てしなさを知った。ただ残念ながら、そういう人とずっと、曖昧だけど確かな友情を続けるのは難しかった。なんかやっぱり、セックスありきみたいになっちゃうし。となると恋人できたらムズイし。

破壊は男女に限らない。超どデカエネルギーによって、女同士の友情を破壊したこともある。なんかアメリカ映画とかだとそれでも全然影響なくダチでいれているっぽいけど、私は気まずくて拗れました。

守ったこともある。魔法少女が魔女になる時のエネルギーを体内に感じながらも、静かに耐えた。凄い色っぽく見えるけど、マジでホテルに誘いたいけど、我慢。我慢あるのみ。なんで我慢できたかってそれは、過ごしてきた時間への敬意のようなもの。一時の性欲に負けたくなかった。ホテルまで行ったのにやっぱり守りたくなって謝ったこともある。あの時は本当にごめんね、今も友達でいてくれてありがとう、などと思う。

続けることって難しいのね

別にどっちでもいいと思う。守りたい人は守ればいいし、やってみたいならすればいい。なんにせよ、ハンドルは私とあなたが握っている。だから「成立する・しない」とかじゃないのだ。うちらはどうするかってだけの話。で、私は年々守りたいって意志が強くなっている。結婚したこととは関係なく、ただこの奇跡みたいな友情を守りたいと心から思うのだ。

友情はとっても難しい。個人的には、恋愛よりずっと難しいと思う。友情には「セックス」みたいなある種のゴール・特殊イベントがない。もし、誰かと二人で飲み行って、あんまり会話が弾まなくて「つまんないかも…」と思っていても、セックスをすると何か少し気が紛れる場合がある。「まぁ、したしな」っていう満足感というか「相手の内側に一歩踏み込んだぞ」っていう手応えというか。これってとても便利。言葉を尽くさなくても相手を知ることができる。深い仲になったような気分になる。今書いていて、ツールとしてすげえなと改めて感じている。

じゃあ友情はどうかというと、こういうチートがないのだ。マジで、ちょっとずつ積み上げるしかない。「なんか今日はあんまり盛り上がらないな」「最近予定が合わないな」「恋人の話ばっかりするようになったな」しなり続けるジェンガをそうっと見守るように、寄り添っていくしかないのだ。激ムズじゃんそんなの。しかも大抵の場合、恋人の方が優先される。大好きな友達に恋人ができて寂しい思いをしたこと、きっと誰にでもあるよね。寂しい思いをさせてしまったことも、誰にでもあるよね。だからこそ、だんだんわかってくる。今も続いているこの友情が、何度危険に晒されたか。その度に、誰かが必死に守ってくれていたこと。その結果、今も一緒にいられること。

私は守りたくて、守りたいと思っているうちは守れると信じている。「成立させたい」と思えば、そうやって生きれば、成立する。逆に、やろうと思えばすぐにでも破壊できてしまう。実際に体を重ねるかどうかは別として「そういう目で見てますよ」って信号さえ送れば秒で関係性は変えられる。その信号は漏れやすい。だからきっと、今期の忘年会新年会でもそこら中で魔女が生まれたことでしょう。元気〜! それもまた良し! 大切なのは自分がどうしたいかだ。ただ一つ、若い頃の自分を思い返して言いたいのは「友情って簡単じゃないわよ」ってこと。時間がかかるよ。膨大な思いやりが必要だよ。だからこそ美しいここにある友情を、壊してまでしたいことか、ちゃんと考えて。壊れたものは簡単に元には戻らないから。一晩の高揚のために犠牲にしたあいつとの未来は、見たくてももう見られない。

TEXT/長井短