ある日、男がいつものように銀色の車でわたしを迎えに来た。その頃には男の送り迎えは日常的なことになっていて、わたしは当然のように助手席に座った。けれどその日、男はいつもと違って、行き先も告げずに走り出した。
昼間の首都高速は空いていた。車内にはアンニュイな声のミュージシャンの歌声が流れていた。ボコッとした道路の出っ張りにひっかかって車が浮くたびに、アコースティックギターのリズムとわたしの体が同期していく。うららかな春の日だった———。
◇
どこかわからない場所で一人、わたしはくるくると回っている。体が揺れるたびに、視界のはじに白いワンピースの裾が見えた。「あれ?」と、わたしは気がついた。それは少女の頃、シンガポールのホテルに忘れていったドレスだった。「どうしてこんなところに?」ふしぎにおもって右耳に手をやると、赤いイヤリングをしていた。それはニューヨークで片耳だけ落としたイヤリングだった。ふと、左手に重さを感じてうつむくと、ミッフィーを握っていた。子どもの頃、遊園地で落としたリュックサックになるぬいぐるみだった。
驚いて体中をさわると、いつのまにか、いつか・どこかで落とした、大切な宝物が身についていた。
「なんだ、失くしたものなんて一つも無かったんだ」
いつのまにかあたりは生成りの色をしたあたたかな空間になっていた。遠くから、かすかな香りがする。ほのかに青い、小さな花の香り———。
がくんと銀色の車が揺れて、わたしはハッと目を覚ました。眠っていた? いつのまにか? 口元によだれがついている。起こった出来事以上に、わたしは驚愕していた。
(わたし、とんでもなく安心して眠っていた?)
出てきた言葉にハッとする。安心———それは長い間感じたことのない感情だった。
これまでわたしにとって「眠り」とは、怠惰への恥ずかしさと、喪失への恐怖がまざったものだった。わたしをわたしにさせる世界、壊れやすい宝物、それを見張る門番はわたし自身しかいなかった。だから目を閉じるわけにはいかなかった。けれど意志に反して、毎朝気絶するように意識を失い、短い時間で目が覚める自分がいる。コントロール不可能な身体を持ったわたしは怠惰な人間である気がした。眠りこそ、わたしにとってもっとも居心地の悪いものだった。
なのに今、わたしは安心して眠っていた———?
ふと視線を感じると、男がこちらを見ていた。するとなんだか、泉の湧き出る音が聞こえてきた。最初はこぽりと小さな湧き立ちだったのが、次第にこんこんと激しくなり、いつのまにか辺り一面がきよらかな湖になってしまったようだ。わたしはどうかしている。おさえきれないぐらい動揺している。体の震えをごまかすみたいに銀色の車体が揺れたとき、カーステレオから歌声が流れ出した。
「神様ほんの少しだけ 絵にかいたような幸せを わけてもらうその日まで どうか涙をためておいて」
その時、わかった気がした。≪愛≫とは「安心を与えること」だ———。そして、安心とドキドキは両立するのだ。
「愛されたい」と強く願い、それを逃すたびにのたうちまわり、相手を追いかけまわす……。そんな恋愛をしてきた。彼らは確かに胸をドキドキさせてくれたが、それは締め付けるような痛みをともなうものだった。そんな男女関係しか知らなかったから、わたしは痛みこそが≪愛すること≫だと勘違いしていたのだ。だから目の前の男が、ただただわたしのために何かをするのが嬉しいという態度を取るたびに居心地が悪かった。その様子がわたしの知ってる≪愛≫に結びつかなかったから。
しかし冷静に考えたら、安心感を得られなかったからこそ、わたしはかつての恋人たちを追いかけたのだろう。彼らはわたしを不安にさせ、不安は心に穴を開けた。彼らに愛されれば、その穴は埋まるんじゃないか。そう期待して追いかけた。けれど傷をつける人間が、傷を癒すような能力を持っているかというと、それはおそらくノーなのだ。
そしてもう一つわかったことがある。≪幸せ≫とは、心が満たされて初めて感じられる知覚だ。ハンドルをにぎる男は、いつでもわたしを安心させてくれていた。愛されていると確信させてくれた。それでいて今、わたしは胸を高鳴らせている。わたしは初めて、彼の顔を見た。君って、そういう顔をしていたのね。
いつのまにか、皇居のお堀へ差し掛かった車は千鳥ヶ淵を渡っている。青いボートに恋人たちが乗って浮かんでいる。不安な気持ちだけが恋じゃない。わたしは今、恋をしている。
「眠ってごめんね」そう言うと、「嬉しかった」と君は言った。首都高速に桜が舞っていた。