「恋に奔放な性悪女」を演じていた
私もチカちゃんもバイト先を辞めてから2年ほどが経ったある日、ひょんなことから彼女と再会する機会がありました。待ち合わせ場所に現れた彼女は、どこかスッキリと憑き物が落ちたような顔をしていて、2年前に感じた「魔性」じみた印象は消えていました。
話を聞くと、結局あのあとSさんとは3ヶ月くらいで別れてしまって、その後に知り合ったほかの男性と結婚し、ついこの前第一子が産まれたばかりとのこと。2年前、Sさんのどこに惹かれていたのかと聞くと、チカちゃんは「うーん」としばらく考え込んで、「いや、別に好きじゃなかったよね」。
詳しく聞いてみて分かったのは、彼女が当時ほんとうに得たかったのはSさんではなく、「婚約者のいる職場の上司を一撃で落とせる自分」だった、ということです。
チカちゃんは当時、魔性だとかビッチと周りに言われるのがわりと快感だったらしく、恋に奔放な性悪女を演じることで、男性から恐がられ、ナメられなくなるのが嬉しかった、というようなことを話してくれました。
その裏には、彼女が人に与える小動物めいた印象ゆえに、これまで幾度となく男性に下に見られ、馬鹿にされ、軽く扱われてきた過去があるようでした。
「魔性」は人の性質ではなく、一時的に宿るもの
チカちゃんを見ていて思ったことがあります。
こう言い切ってよいものかちょっと迷いますが、たぶん、狙った人を落とす、ということ自体は、そんなに難しいことではないんですよね。
つまり、なりふり構わず相手にアプローチをかけて、「同じコミュニティに所属している人たち全員から嫌われ、誤解される」とか、「相手側のパートナーに一生恨まれる」とか、普通なら躊躇するような圧倒的なデメリットをぜんぶ引き受けて悪者になる覚悟があれば、ある程度の確率で、狙った相手は落とせるんじゃないか、ということです。
で、なぜ普通はそれをしないかと言うと、当然ながら倫理的・社会的にまずいからです。
2年前、Sさんを落としたハタチそこそこのチカちゃんはもしかすると「魔性」だったかもしれませんが、それは彼女自身が持つ性質ではなくて、一時的に彼女の中に魔性というものが宿っていただけだと私は考えます。そういうのって、ある限られた時期にだけ女性に宿る、破壊衝動みたいなものに近いんじゃないでしょうか。
その限られたひとときを(幸か不幸か)目にしてしまった周囲の人が「あいつは魔性の女だから」と言って触れ回ったりするのは、相手の理解しがたい考え方や行動をひとつのキャッチーな言葉に閉じ込めて安心しているという意味において、「東京の女」とか「京都の女」となんら変わらないのではないか、とさえ思います。