思春期の頃に母親と完全に分かり合えた人なら、この作品は他人事になる。完全になんて無理じゃないだろうか。分かり合えたかどうかなんて、その時に分かるものでもない。むしろ大人になってから、いかに母親を分かってあげられなかったかがよく分かる。
心から愛する息子と分かり合えない時、母親がどんな想いで息子を見つめるのか。ドロシアのように、子どもの教育を若い女の子に託すなんて、とんだ責任放棄と思うかもしれない。でも、自らの立場を譲ってまで近づきたいと願う、息子との“距離”がそこにあった。
前作『人生はビギナーズ!』で、75歳にしてゲイであることをカミングアウトした自身の父親を描いたマイク・ミルズ監督。今度は自らの母親をモデルに、シングルマザー・ドロシアを本作でゴールデン・グローブ賞にノミネートされた名優アネット・ベニング、息子・ジェイミーを10代の新人であるルーカス・ジェイド・ズマン、親子に関わる写真家・アビーをグレタ・ガーウィグ、ジェイミーと友達以上恋人未満な関係を続ける幼馴染・ジュリーを『ネオン・デーモン』の好演が記憶に新しいエル・ファニングが演じる。
二作連続で、まるで人生の記録をスクリーンに封じ込めるマイク・ミルズだからこそ、切実な想いとリアリティ溢れるセリフが散りばめられている。
たとえ不完全でも心の距離が近い教育者たち
まず脳裏に焼き付いて離れないのは、ジェイミーの幼馴染・ジュリーの小悪魔っぷり。「ベッドに一緒に入るけど、絶対にヤラせない」――こんなスパルタ性教育があっていいものか。
とはいえ、ただの面倒くさい女の子ではない。ジェイミーと親友の関係を守りたい一心で恋愛とは一切線引きをしている。
写真家のアビーもまた人生を模索し、アーティストを目指すも自身の才能を疑い続ける。このようにドロシアがジェイミーの教育を託した二人は、決して完全な人間でない。
「“いい人間”になるには? その現代における定義は?」
ドロシアはその答えを探すために、完全な人間とは言えなくても、ジェイミーと心の距離が近い二人を選んだ。ジュリーには恋愛を、アビーにはカルチャーを。ある種の英才教育だ。パンクロックが好きで、ジェイミーに大きな影響を与えるアビーの立場は、さすがにドロシアでは賄えない。
様々なことを痛みと切なさを伴いながら吸収していくジェイミーの姿が、まるで母親視点で切り抜かれるように愛おしく映し出される。
ジェイミーが出会うパンクロックやニューウェイヴなど、1970年代の今に繋がる様々なカルチャーがただの回想ではなく新鮮な姿で目と耳に届く。その時代に生きた人も生きていない人も、同じノスタルジーを共有することで、誰でも心の中に在る“あの頃の母と私”を思い出すだろう。
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