たしかな時代考証で描く写生画と、豊かな色彩で描く想像画
すずさんが描く絵には写生画と想像画の二つがある。故郷である広島の街を思い出に留めるために、広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)を写生する。妹・すみちゃんを楽しませるために、厳しくて恐い兄・要一が主人公のギャグマンガ『鬼イチャン』を連載する。また、晴美のためには防空壕の恐怖を和らげようと似顔絵を描いてあげる。
在るものを正確に記録することと、目に見えないものを想像すること。この二つが作品自体を表しているかのようだ。制作に6年もの歳月をかけて、取材のために30回以上広島に足を運んだという、片渕監督の「ここまで調べた」と言い切れる執念の時代考証。その写生によってすずさんが実際に生きているような感覚に陥る。そこで彼女たちの暮らしを生々しく想像することができるのだ。
“イマジン”だけでは世界を変えられない。手を動かして描くことによって、足を走らせることによって、その片隅が色とりどりの日々を見せる。
「昭和20年の広島」と聞くと悲惨な物語を思い浮かべるかもしれない。だが、そこは涙だけではなかった。すずさんの絵の具はカラフルで、想像する力さえあれば、いかようにも世界を塗りたくることができる。
タイトルが示す“この世界”は、今我々が生きる世界に繋がっている。戦争に限らず、災害や事故、病気でも、生きていると必ず大切なものを失う。それでも明日はくるし、明後日もくる。そこへ向かうすずさんの思い描く色彩豊かな想像が、その片隅で踏ん張るたくましさが、71年もの時を越えて現代に生きる我々の心を震わせる。
すずさんの家族以外にも、知多さんや刈谷さんなどご近所の主婦たちが失ったものを補い合い、足りないところを助け合う。想像するだけでなく、日々の“再生”を人と人との温もりで描こうとする。
絶望の淵に立たされても暮らしは続いていく。そこにはヒーローもヒロインもいない。誰も彼もが正しくも悪くも映らない。すずさんが誰の人生にも降り注ぐ光と闇をかき集めて、のほほんとした笑顔で消化させてくれる。それは今までに見たことがないくらいの鮮やかな色彩で、現実の“この世界”をも美しく思い描いてくれるかのようだ。
ここまで、すず“さん”と敬称を付けた。それは彼女が実際に生きていて、91歳のボーッとしているおばあちゃんとして今も広島・呉を歩いているような気がするからだ。もはや場所を問わず、そこらへんを歩いている高齢者の方に「よう生きてくれとった!」となぜか広島弁で声をかけてしまい、挙げ句の果てに荷物を持ってあげたくなる。
緻密な写生とも呼べるディテールの積み重ねが、実写以上のリアリティと血の通った人物を生み出す。それを観る者が彼女たちの未来を想像することで明日、明後日、明々後日へと現実の世界に繋げていく。
過去を描いた作品なのに、どこか未来を感じさせる。作品が作品として在り続ける意味が、すべてここにある。なぜなら、いつか当時のことを語り継ぐ人がいなくなっても、すずさんが描いた絵として、人々の記憶の器として、この作品はこの先何十年も残り続けるからだ。そこにたしかに生きていた人々の喜びを共有し、怒りを想像し、哀しみを知り、楽しさを得る。歴史的資料でもあり、娯楽映画でもある。これこそ「作品」の本質だろう。
どうか触れてもらいたい。これは一生涯に一度の、人生の宝物のような作品に出会える機会なのだから。
ストーリー
広島・江波に住む18歳の浦野すず(声:のん)に、突然縁談が持ちかけられる。良いか悪いか判断がつかないまま、軍港の街・呉で暮らす海軍勤務の文官・北條周作(声:細谷佳正)のもとへと嫁ぎ、新しい生活が始まる。
周作の父・円太郎(声:牛山茂)と母・サン(声:新谷真弓)は優しいが、義姉の径子(声:尾身美詞)は厳しくてキツく当たってくる。その娘・晴美(声:稲葉菜月)はおっとりしてかわいらしく、すずは晴美に巾着袋を作ってあげることで友だちのように仲良くなる。
戦争が激化する中で配給物資が減っていくが、すずは明るさを失わずに呉での生活に馴染み、暮らし続ける。やがて呉は空を埋め尽くすほどの数の艦載機の空襲にさらされ、すずたちが大切にしていたものが失われていく――。
11月12日(土)、テアトル新宿ほか全国ロードショー
監督・脚本:片渕須直
原作:こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社)
音楽:コトリンゴ
キャスト:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外(特別出演)
配給:東京テアトル
2016年/日本映画/126分
URL:公式サイト
Text/たけうちんぐ
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