“運命”という言葉に逃げない、強靭なロマンチック描写
ある日、なぜか突然入れ替わりが途絶えたことで、瀧は漠然とした風景の絵を頼りに三葉に会いに行く。そこで待ち受ける意外な真実から、物語にサスペンス要素が加わっていく。
どうして、自分でもない人の気持ちになって涙を流すのか。瀧と三葉はある朝、鏡の前で理由も分からず涙する。これは作品を観て感情移入する我々の気持ちに近いのかも知れない。フィクションに心の安らぎを求め、本来流すはずの涙を誰かの姿を借りて流す。人々が「泣ける映画」を求める理由はこういうところから来ているのだろうか。
誰かを嫌いであることには理由がある。でも、好きになることにははっきりとした理由が見つからない時がある。上手く言い表せない時は“運命”という言葉に逃げる。でも、この作品は言葉で逃げようとしない。
瀧と三葉が互いに合いの手のようにセリフを挟み合う。そのポエトリーなセンスが全くクサくないのは、誰かの原風景のように一枚一枚の景色が美しく描かれているからだろう。
新海誠監督の作品は空が印象的だ。雲の造形とそのコントラストが美しい。澄み切った空がすべてじゃない。雲が浮かんでないとその空の広さや高さが分からない。障害がないと希望も絶望も知らないのだ。
瀧と三葉が手繰る糸は絡まり合い、時に美しい形も無様な形にもなる。それが二人の涙となり、その涙が観る者の心を揺さぶってくる。誰をもポエマーにさせる威力を持つ。そして、鏡の中の自分を改めて見つめ直させてくれる。
空に描かれる黄昏と、黒板に書かれた「誰そ彼」。それは「誰ですか、あなたは」という意味を持つ。
自分以上に他人のことを想うことや、他人以上に自分自身を知らないことがこの世にある限り、『君の名は。』は名前がまだ知られていない感情を、出会ってもいない感情を呼び覚ますように、いつまでも揺さぶり続けるだろう。
ストーリー
千年ぶりとなる彗星の来訪を一ヶ月後に控えた日本で、田舎町に暮らす女子高生・三葉(声:上白石萌音)は都会に憧れを抱いていた。そんなある日、彼女は自分がなぜか男の子になる夢を見る。
一方、東京で暮らす男子高校生・瀧(声:神木隆之介)も、行ったこともない田舎町の女子高校生になる夢を見ていた。
二人は所々で記憶が抜け落ちていることを知り、知らない間に誰かが自分の姿として生きていることに気づく。
「私/俺たち、入れ替わってる?!」
出会ったこともない相手と、互いに記憶を共有し合うために携帯に日記を付けることになる。時にケンカをして、時に励まし合って、出会ったことのないはずでも心を通わせていく。
しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途絶えてしまう。三葉に会いに行こうとした瀧は、その旅先で思いがけない真実に直面してしまう-―。
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