「私の男」って誰に対して言えるのでしょう。
その男が私以外にも繋がっていて、関係を持っているとしたら「私の」なんておこがましくて言えない。私だけでなく、みんなの男。「彼氏」でも「恋人」でもない。
「私の男」とはもっと所有していて、より管轄内にある。そして「私だけの」が孤独を意味し、寂しい。
それって一体、どんな男? その男に寄り添うのはどんな女?
この映画の淳悟は、紛れもなく花の「私の男」なのです。
桜庭一樹のベストセラー小説を、『海炭市叙景』『夏の終り』の熊切和嘉監督が映画化。描かれる登場人物は、映像にのみ生息する存在じゃない。全員が生々しく、すぐそばで生きているかのよう。リアルな人物描写を得意とする熊切監督が、原作の映像化不可能と言われた流氷のシーンを実現しています。
孤独に寄り添う淳悟役と花役に、いまや日本映画界に欠かせない存在の浅野忠信と二階堂ふみの二人。16年の長い月日の中で、心だけでなく次第に身体を重ねていく関係が生々しい。
観ていて心をえぐられるほど痛々しく、そして艶やかに演じる二階堂ふみの演技に注目せざるをえないです。
男女のタブーに触れた「愛」の物語
【簡単なあらすじ】
大地震の津波により、家族全員を失って孤児となった花(二階堂ふみ)は遠い親戚と名乗る男・淳悟(浅野忠信)に引き取られる。寂しさと不安で泣く花に、淳悟は「俺は、おまえのもんだ」と手を握りしめ、それから数年の月日が流れた。
北海道の田舎町。花は成長し、春から中学生になる。淳悟は恋人がいるが、どこか心ここにあらずの状態。あらゆる時間を花に費やし、またそれを花は受け入れていたからだ。
やがて高校生になった花は淳悟とただならぬ関係を持ってしまう。それを知った大塩(藤竜也)は淳悟と引き離すために、花に旭川の親戚を紹介しようとする。
しかしそれがある事件を生み、花と淳悟は逃げるように田舎町を離れる事になる——。