「あざとい=ぶりっ子じゃないぜ」元祖あざとい豊臣秀吉/長井短

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あざといってなんだろう。最近巷でよく聞くこの言葉。改めて辞書で意味を調べると「押しが強くて、やり方が露骨で抜け目がない」とでます。言い方がきついな。しかも、思っていた「あざとい」の言葉の意味とはちょっと違う。私の中でのあざといのイメージは「背の低い女の涙目」で、これも本当に偏見に満ちていて申し訳ないんですが、理由があります。今回は「私とあざとさ」の関係を披露しながら「あざとい」について哲学できたらいいな…!

あざとい=ふゎふゎ可愛い女の子

「あざとい」をできない人生を送ってきた。これは別に、新しいタイプの自慢でもなんでもなくて、本当にできなかったのだ。93年生まれの青春には「萌え袖」という文化がある。あれこそが、私とあざといの出会いだった。学生時代、ティーン雑誌を開くと必ず「萌え袖で両手持ち! 首を傾げながら上目遣いで消しゴムを貸そう! キュルン!」みたいな記事がどこかにあった。指示が細けえなと思いながらも、確かにやったら可愛いのかも…っていう気持ちは密かに抱いていて、えぇ、私も挑戦しましたとも。しかし、だ。この長ったらしい指示のド頭で躓いてしまうのである。「萌え袖」袖が足りない。萌えるほどの袖がないのだ。この時に私は悟った。「あざといは、小柄な女の子のための武器である」と。

小柄な女の子は可愛い。その可愛さをより強化するための方法が「あざとい」なのだと10代の私は思った。よりか弱く、より小動物に寄せるテクニックがあざとさ。そうなると、もう私の出る幕はない。だって、172センチある私が萌え袖両手持ちで消しゴム渡そうとしたら、なんか消しゴムの小ささとの対比で私がもっとデカく見えるじゃん。心優しい巨人みたいになるじゃん。しかも上目遣いが無理だし。一旦屈まないとできないし。でもそれはもうメンチじゃん。