「お前にそんなことできるわけないじゃん」
「お前にそんなことできるわけないじゃん。甘く見るのもいいかげんにしな」
これはわたしの友人が、以前付き合っていた恋人に言われた言葉である。
当時の彼女は仕事がうまくいっておらず、転職を考えていた。それを相談した際のひとことだ。
彼女が希望していたのは全くの他業界他職種だったから、たしかに簡単ではなかっただろう。けれど、ろくに話も聞かず、半笑いで言い捨てたという彼の言動を聞いて、わたしは少し鳥肌が立った。
彼女の恋人とはわたしも知り合いだった。以前みんなが集まる飲み会で、ひとりが仕事が辛いとこぼした。その愚痴を一番よく聞いて、「今の会社にしがみつくことなんてない」「転職活動してみなよ! きっと上手くいく」と励ましていたのがその彼だったのだ。
この彼のことは前回のコラムにも書いたから、気になる人には読んでみてほしい。
今回は、こんなことがあってもなお、彼から離れられなかった彼女側について考えてみたい。
選択できる「健康な心」
どこに就職するとか、誰といつ結婚するとか。明日のランチは何を食べようかに至るまで、人生は決断の連続である。
いつ誰と結婚したらいい? 出産のタイミングは? どういうキャリアを選ぶのがベスト? いくら考えても答えは出ないし、答え合わせも一生できない。
決断はストレスだ。どちらを選んでも、後悔する瞬間があるのが見えている場合は特に。そういう時、他人の言葉が必要以上に心に刺さってしまうことがある。
断言する人は魅力的だ。毒舌タレントも、政治家も、「断言してくれる気持ち良さ」「耳障りの良さ」に惹かれてしまう。その発言に根拠はなくても、責任を取る気がさらさらないとわかっていても、自分を否定するような言葉でさえも。
めちゃくちゃな罵倒に「は?」と返せるのは、心が健康な時だけだ。
わたしを含めて、多くの人は自信がなく、常に不安なんだと思う。だから自分の決断はすごく迷うし、他人の決断に口を挟むことにも迷う。
もちろん「彼氏は暴力ふるうし束縛もひどい。連絡が遅くなった時は包丁を持ち出されたけど、顔がかっこいいから結婚したい。ちなみに借金2000万」くらいの案件であれば「逃げろ!!!!!!」と断言できるけれども、そういうのはレアケースだ。
悩み抜いて選んだ選択肢Aも、くじ引きで決めたAも、だれかが勝手に決めたAも、結果としては同じである。その決断が間違っていた時、「でも、自分で決めたことだから」と納得できるならいい。けれど、「自分が一生懸命考えた」選択が間違いだったと認めるのは、とても苦しいことでもある。それに否定的な言葉を投げられ続けると、自分には考える力がないような気がしてしまう。
だから誰かに決めてもらわないといけないし、決めてくれる人は神様になる。親友や家族の「私はこう思う。でも決めるのはあなただし、どんな結果でも応援するよ」より「お前は絶対にこう。なぜなら俺がそう思うから」がありがたく思えてしまう。あとからその選択が間違いだったとわかった時、手のひらを返して「え? 決めたのお前じゃん?」とせせら笑うことがわかっていても。
冒頭の話に戻るが、転職しようとする彼女は不安でいっぱいだったと思う。変化を恐れる気持ちと、変化を期待する気持ち。本当は背中を押してもらいたかったんだろう。でも、そんな気も知らない彼の「できるわけないじゃん」は、「不安」と「期待」の天秤で不安の大きな重石となってしまった。
彼はたぶん、彼女をコントロールしたかったのだろう。不安を煽って自信を削り、自分のわがままをいつまでも許してくれる――許す他ない彼女でいてほしかったのかもしれない。
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