記憶は消えても、記録は残るから
「悪いんだけど、この写真削除してくれないかな」。
そんなメッセージを受け取ったのは、ある年の夏のことだった。
削除を依頼されたのは大学卒業直後の写真だ。アップしたことすら忘れていた、なんてことない集合写真。キャプションは「サトウくんプロデュース、ハルちゃんのバースデーパーティ」。削除依頼はサトウくんからだった。
サトウくんとハルちゃんは数年前に別れている。今更当時の写真を消したい訳は、「新しい彼女が気にするから」だった。わたしがアップしていた写真は、特に2人がイチャついている写真ではない。中央に花束を抱えた幸せそうなハルちゃん、その横にちょっと照れくさそうなサトウくん。周りを同級生数人が囲んでいる形だ。
改めて見返すと、けっこう良い写真だと思った。けれどもちろん、本人に言われれば公開をやめる他ない。なんとなく写真を保存してから、わたしはその写真をSNS上から消去したのだった。
SNS上で思い出は生き、恋人は死ぬ
一般人のSNSーー例えばインスタで重要なのは、写真の色味や構図のセンスではない。「何を載せ、何を載せないのか」の取捨選択であるように思う。 例えば、付き合っている恋人とのツーショットを載せるか。自撮りは? 職場は? 旅先は?食事は? 食事なら、高級レストランの逸品か、休日の凝った手料理なのか。そういった選択の連続だから、文字よりも短い時間で、はっきりとその人の思想の一部が見える。
特に恋人の写真を載せるか否かは分かれるところだと思う。わたしの周りでは、付き合いがすごく長かったり、共通の友人・知り合いが多い場合を除いては「基本、載せない」派が多い。ただし、恋人と出かけた先やプレゼントなどは普通にアップしているため、恋人の有無は何となくわかる。数年会っていない友人は、「恋人といる時に撮ったっぽい写真」をちょくちょくアップしているが、その「恋人」が一貫して1人の彼氏なのか、それともその都度別の人なのかはわからない。
わたしも基本は「載せない」派だ。特に理由を考えたことはなかったのだけど、このコラムを書きながら「恋人は記録に残らなくていいけど、『自分が楽しかったこと』は残しておきたいのかも」と思った。
過去のインスタを遡ると、数人の元カレとの思い出が残っている。相手の写真はないが、一緒に行った場所、食べたもの。そういうものが一見普通のアルバムみたいに整然と並んでいる。「あ〜〜そうそうこの時楽しかったな」と結構しみじみしてしまった。キャプションに詳しいことは書いていなくとも、写真を見れば当時の記憶が蘇る。
元カレたちとは楽しい思い出ばかりではなかったが、インスタに残るのは「美味しかった」「楽しかった」「嬉しかった」だけだ。「誰と」があまり重要ではない、「わたしの」良い思い出のカタマリ。
一方で、「恋人を載せる」派の友人は「別れた後は関連する写真まで全消去」と言っていた。「基本、その時の彼氏にフォローされるから、過去の男の匂いは残せない」だそうだ。付き合っていた彼と別れる度、SNSの大掃除をするらしい。つい最近も大掃除があり、インスタは手料理と女友達とコスメだけになっていた。少し前までよく載せていた、ヒゲのよく似合うイケメンは、跡形もなく消え去っていた。
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