「普通の人がいい」・・・好みの人に飛び込めていたあの頃にはもう戻れないのか

恋人は「じゃない人」がいい?

暗い屋内で佇む女性の画像 Pixabay

「恋人に求めるものは?」と訊かれたら、あなたはどう答えるだろう。
10年前のわたしなら、「頭が良いこと♡話が面白いこと♡できれば顔はw-inds橘慶太似♡」と即答していたと思う。しかし、現在アラサーのわたしは熟考した末に、いくつかの条件を挙げることになるだろう。ほとんど「~じゃない人」という形で。

普通の人はどこにいる?

ここ数年、あちこちで「普通の人でいいのにな」なんて声を聞くようになった気がする。さて、普通の人とはどんな人だろう。
「顔もスタイルもずば抜けて良くなくていい。普通に働いてて、普通に感じのいい人なら」。大抵はこのように返される。ぼやっとしているが、言いたいことはなんとなく分かる。まぁ「吉沢亮や白石麻衣クラスを望んでいるわけではない」ということぐらいは。
でも、わかる。わたしも普通の人と付き合いたい。ただおそらく、わたしの思う『普通の人』と、彼らの中の『普通の人』は全くの別人だ。

普通で良いとは言いつつも、自分の中に「恋人選別用のハードル」がいくつか設置されているように思う。それは収入だったり学歴だったり、あるいは容姿やコミュ力かもしれない。そして恋人候補には、それらのハードルをすべて飛び越えてもらわなければならない。だから、収入ハードルを高さ2倍で飛び越えても、容姿ハードルを惜しくも倒してしまえば失格だ。
ギリギリでもいい。すべてのハードルを飛び越えて見せて、初めてその人にとっての『普通の人』に認定されるのである。『普通の人』=すべてのハードルにひっかからない、「〜じゃない」の集合体である。

別の言い方をすれば、すべての教科で平均点を取れる人。ひとつも赤点のない人だ。容姿が100点、マナーが20点の総合120点より、容姿50点、マナー50点で総合100点の方に軍配があがる。要は欠点という欠点のない人なのだが、これがなかなか難しい。科目の数も採点基準も、その人によって違うからだ。
そもそも欠点のない人は、本当に『普通の人』なのだろうか?

以前、知人女性に男性を紹介したことがあるのだが、「どうしても学歴が気になって」とカップル成立には至らなかった。学歴を気にするだろうとは思っていたので、彼女と同レベルの大学出身の男性を推したのだけど、彼女にとっての「普通の学歴」は、元彼が卒業した有名私立大学以上を指していたようだ。それはさすがにわからなかった。これがいわゆる、わたしと彼女がそれぞれ思う学歴ハードルの高さの差である。

容姿の面ではさらに難しい。ぽっちゃりの定義、雰囲気を容姿に含めるか否か、背丈、ファッションセンスやそのジャンル。これらをクリアしたとしても、「なんとなく嫌いな (好きな)顔」なんてのもあったりするから、会うまではもう賭けでしかない。