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  • 2017.12.07

若い女子たちまでもが「私はババア」宣言する息苦しい世界

女性が生きる上で「25過ぎたらババア」という言葉が嫌でも耳に入ってきます。この呪いのような言葉は、保守的なおじさんが言うだけでなく、女性が自ら「ババア」とへりくだる時に使われることがあります。まだまだ若いはずの私たちが、自ら「ババア」という予防線を張ってしまうのは何故でしょうか。

派手な帽子をかぶった女性の画像
by Alex Harvey

 25歳の誕生日、ロウソクの火を吹き消しながら「もう『若い子』じゃないんだな」と思った。あらゆる不出来を帳消しにできる若さの特権が、手の中で溶けはじめた気がした。
ミニスカートを履く権利。似合わなくても髪を明るくする権利。キャラクターもののスマホケースを持つ権利。これから少しずつ、そういう自由が奪われていくようで寂しかった。でも、その時のわたしは、同時に安堵してもいた。『若い子』のステージで踊り続けることに、たぶん疲れていたのだと思う。

『若い子』と『ババア』のはざまで


「まだ若いんだから◯◯して」「もう若くないんだから☓☓はやめて」を同時に言われるのがアラサーである。ある集団では若手としての元気の良さを、あるコミュニティでは中堅としての落ち着きを求められる。

 それでも、人から言われる分にはまだいい。わたしの息苦しさはほとんど、自分自身の決めつけに由来していた。「これをしていいのは若い子だけ」「この年であれをするのはナシ」。そういうルールみたいなものが、自分の中にいくつもあったのだ。それを破るとどうなるか。『イタいおばさん』になるのである。

 当時のわたしは『イタいおばさん』になることを、何故か極端に恐れていた。誰かに『イタいおばさん』として撃たれる前に、自分から『若い子』のステージを降りねばならない気がしていた。

『おばさん』『ババア』と『イタいおばさん』は同じなようで全然違う。前者は名乗ることで、「でも、イタくはないですよ」と世間に予防線を張っているのだと思う。

 ネット上では20歳、下手すると10代後半からババアを自称する女の子も珍しくない。彼女たちも、もしかしたら同じように妙な緊迫感を持っているのかもしれない。ババア宣言で楽になる気持ちは本当によく分かる。でも、「ババアだから◯◯できない」と口に出すことは、年上への威嚇であり、年下への呪いになってしまう。

「若く見えるのは良いことだが、若作りはイタい」という風潮があるように思う。
服装や髪型、メイクは、私たちの見た目年齢に大きく影響するところがあるけれど、少しでも顔や体型との間にズレが生じればそれは違和感となって、身につける人を若く見せるどころか、「頑張って若作りをしている」印象になる。

 頑張った若作りはイタい。いつまでも若いつもりでいるのもイタい。そんな風に、わたしは自分を何重にも縛り上げていた。

 わたしたちには「若くもないが、ババアでもない」期間がない。若さを失えば即・ババアだ。そう勝手に評しているのは外野なのだが、その外野の意見がじわじわとわたしたちの内側に染み込んで、行動を制限してしまう。そういう息苦しさが、若い女の子たちにまでババア宣言をさせている。『若年性ババア症』とでも言うべき、ちょっとした病なのかもしれない。

最強のババアへの道のり


 25歳の誕生日が来てすぐ、若くない自分にはもう似合わないと思った服を、まとめてゴミに出してしまった。お気に入りのワンピースも、未練を残したまま捨てた。

 でも今は、あの頃捨てたものよりも鮮やかな色の服たちをまた買い揃えている。もう着れないと思うデザインもたしかに増えているが、そういうものを着たいとも思わなくなった。「趣味が変わった」の範疇だ。
好きな装いをする権利は加齢で失われたりしない。服装だけではなく、25歳のわたしが思っていたほど、年を取ったらできなくなってしまうことは多くなかった。

 世間の『イタいおばさん』評価には、自由を奪う力はない。自由を奪えるのは自分の意思だけだ。自分が『ババアだからできない』と言った瞬間に、本当に無力なババアになるのだ。だから、20歳の自称ババアは無力なババアなのだと思う。

 ババアは辞められるとも思うのだ。自分がそう思わなくなった瞬間に。そしていつの日か、『ババアだができる』と胸を張る最強のババアにわたしはなりたい。

 25歳、当時悩んでいたことが無駄だったとは思わないが、あの頃捨ててしまったヴィヴィアンウエストウッドのブラウスは、取っておいてメルカリに出すべきだったと後悔している。


Text/白井瑶

ライタープロフィール

白井瑶
ゆとりのアラサーOL。
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