私は価値ある存在なの?かけがえのない存在だと認められたかったあの頃

 自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。

永遠なるものたち021「完全なる安心」

なかのいいカップルの画像 Brett Sayles

私はかつて、完全な安心の中で生きていました。

ふたつ年下の弟が生まれてくるまでだったと思います。内向的な子どもだった私はいつも母親にべったりで、親戚の家に連れて行かれれば怯えて押し入れの影から出てこなくなり、母親が迎えに来るまで、誰が呼びに来ても(それがたとえ見知った伯父であっても)、顔を出そうとしませんでした。
母親がどうしても不在になってしまう時は、ずっと不貞腐れていました。まだ、愛想良く振る舞うことを知らなかったのです。

弟が生まれたことは衝撃だったと思います。生まれた時の記憶はないけれど。
とても酷いことに、弟についての最初の記憶は彼を引っ掻いた時のことです。引っ掻いたんじゃなくて、ベッドから突き落とそうとしたのかもしれません。まだ彼は首も座っていなかったから、当然喋ることもできないので、言動が気に食わなかったわけじゃなくて、存在が許せなかったんだと思います。
弟がふにゃふにゃと泣き出して、母親がすっ飛んで来ました。その時のことをよく覚えているのは、明るい母親が動揺しているのを初めて見たからかもしれません。それに、私の爪が当たってしまったのか、弟の柔らかな頭皮からは小さく血が滲んでいました。私の中の弟の最初の記憶は、それです。
すぐにとんでもないことをしてしまったと思って、胸のあたりが冷たくなりました。

「赤ちゃんなんだから意地悪したらダメでしょ」
母親がそう怒ったことで、私は世界に赤ん坊というものがいると認識しました。これまで公園などで見るほかの子どもたちには関心がなかったからです。
私には母親が世界のすべてで、自分と母親は同じ生き物だと思っていました。しかし母親には私だけでなく弟がいて、もしかしたら私だけのものではないのかもしれません。初めての予感でした。

私と母親は違う人間です。それはいまさら言うまでもない事実ですが、たとえば未だに「どうして自分は生まれてきたんだろう」などと内向的な悩みを抱えている私に対して、母親は自分が生まれてきた理由を「うーん、世界平和かな!」と答えました。迷いのない笑顔で、世界平和。我が母親ながら、そんな人がいるのかと衝撃を受けました。それくらい、私と母親は異なる人間なのです。

先日、親孝行についてのエッセイを書く機会があって、私は書き出しを「ああ、自分ってば、いま親孝行してるなあ。と、しみじみ思う人っているのだろうか」という文章にしたのですが途中で行き詰まってしまい、休憩がてら母親に親孝行をしている自覚があるか訊いたら、「ある!」と即答されて驚かされました。
「実家は早く出ちゃったけど、たまに帰ったり、父と母の日にはプレゼント贈ってるし、時々電話するし、私も元気に暮らしてるし」
はあ……。私が呆気にとられていると、答えを間違えたと思ったのか、母親が続けて話しました。
「もしかして私が親孝行してもらってるかってことだった? 元気でいてくれてるし、されてると思ってるよー」
ああ、そう……。私あんまり親孝行してる自覚ないけど、よかった……。