自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。
永遠なるものたち019「リハビリテーション」
初めてのリハビリテーションは病院の二階で、左腕だけを小さな湯船に浸からせるところから始まりました。
超音波が出ている(!)という浴槽は、リハビリ室ではなくなぜか事務室の窓際にぽつねんと置かれていて、保健室のベッドみたいにそこだけカーテンで仕切られています。私はその中の椅子に座って、ワンピースの左袖が濡れないように注意深く捲りました。
電気風呂みたいなものかと思ってドキドキしていたのだけど、湯船の中に変わった感じはしなくて、一体どこから超音波なんてものが出ているのか、それが折れた骨とどう関係しているのかわからず、浴槽の中をぺたぺたと触ってみました。
事務室を出入りする療法士さんの足首が、時々カーテンの裾から覗きます。目の前のラジカセからごく絞ったボリュームで流れてくる洋楽のヒットソングに、カルテか何かの軽いペーパーノイズが重なりました。ボリュームのつまみのところに引かれた太いマジックの線(これより音量を上げないでくださいの印)が野暮ったくて、私の緊張が妙な安心感に包まれます。
今年の冬、酔っ払ってパリの石畳で転倒しました。
左手首を骨折するという大変に間抜けなことになってしまって、しばらくの間リハビリテーションに通うことになったのです。
子どもの頃、骨折は運動が得意な子の特権だと思っていたけれど、大人になると運動が苦手な人の事故になるのだなあ。情けなく思いながらお湯の中の左手を、ぎこちなく握ってはひらきます。奇妙に細くなってしまった頼りない左腕が揺れて見えました。
浴槽から顔を上げてぼんやりした猫背を伸ばすと、一階の待合室で退屈そうにしている人たちが窓から見えます。みんな大人しく座っているけど、どこかに具合の悪さを抱えてここへ来ているのです。
でも、と思いました。でも、それは病院だけに限らないことを思い出したからです。