エイジングとの付き合い方
ほうれい線に効く美容液の広告を見ても、いまいちピンときていなかったけれど、鏡を覗けばそうかコレかと思い当たる節がある。なので、塗り込んでみた。顔のヨガというのもやってみた。似合わないなと思う服はちょっとずつ捨てた。見た目ばかりに気を取られるんじゃなくて内面を磨くべきか? と思い立ち、フラワーアレンジメントの教室に2年通った。内面が磨かれたかは正直不明だが、楽しかったから良かったなと思っている。そうか、自分が興味のあることに自ら動くことも、大人には必要なんだと学んだ。
そして髪型や眉の形を修正してみたりするうちに、いつの間にかまた、色んなものがしっくりくるようになっていた。その後は“エイジング”とは程よい距離感で、ゆるく付き合っている。歯医者さんに定期検診に行くとか、運動をするとか、そういう健康に対する意識も上げていきつつ、生活している。
歳上の女性たちと話しをすると、皆さん口を揃えて「そのあと35歳を過ぎるともっとすごいのがくる」と仰る。ふむふむ、今一緒に生きているこの“エイジング”が、どうやらまた急に育つらしいぞ、また攻め込んでくるらしいぞと思っている。まあそのときがきたら、また試行錯誤しようと思う。“エイジング”はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるものだ。過度に怖がる必要はない。
SNSはBBAだらけ
BBAというネットスラングがある。ババアと読むからには、老いた女性の呼称であろうBBA。しかし驚くべきことにこれを、アラサー女性が自称する場面をTwitterでは毎日のように目にする。下手をすれば20代前半の女の子たちまでもが自称している。SNSは俯瞰地獄だ。アラサー以上はBBA、女子大生じゃなくなればBBA、女子高生じゃなくなればBBA。もはや国民総BBA時代である。
そんなに急いでババアにならなくてもいいんじゃないの? 数十年後には多分、肌とか爪とか筋力とかだけでなく、歯とか骨とか内臓とかにも深刻な“エイジング”が現れるだろうに。ババアになるのは、その時でいいんじゃないの? と思っている。初めての“エイジング”が訪れたときに、焦ってババアを自称し始める人も多いが、これから先、死ぬまでババアなんて悲しいじゃないか。人生は若くなくなってからの方がずっとずっと長いのに。
ババアの自称は「痛いと思われたくない」という防衛手段だと思う。わたしは自分の年齢を弁えてます! もう女子じゃないです! わかってます!! とアピールすることで、痛いと叩かれることを未然に防いでいるのだろう。実に涙ぐましい。本当にねえ、もう、そりゃ弁えてるに決まってるだろうと大声で主張したい。こちとら26歳から“エイジング”と共存しているのだ。もう面倒くさい! 弁えてますアピールなんてしたくない! と思う。だが、うっかり「昨日の女子会でパンケーキが〜」などと口を滑らせば、鬼の首を取ったような勢いで「アラサーは女子じゃない! パンケーキ!!! 痛い!!」と喜んで叩いてくる人は、SNSだけでなく現実にもゴロゴロいるもんだから、ますます臆病にならざるを得ないのだ。