年齢を重ねるごとに深く味わえる小説の存在は、この先の人生をポジティブな気持ちにさせる

by Brent Gorwin

マンガやアニメの世界に没頭し、2次創作の絵やら小説やらを延々と生み出している女――いわゆるオタク女だが、それらを構成する大半は恋愛経験のない「喪女」である、というイメージは完全に過去のものになったんだなと真面目に思う。

私も夏前くらいにとあるマンガの2次創作沼に唐突に落ちてしまったわけだけど、最近Twitterで出会ったのは、チョキさん(仮アカウント名)という2児の母。正確にいうと、この前まで1児の母だったのが、今月の上旬にめでたく2児の母になった。そう、チョキさん、なんと出産直前まで同人誌の入稿作業を行い、そして出産12時間後くらいにはもう新作エロマンガを描いてTwitterに放流していたのである。すごいガッツだ。オタク女の底力を見た、と思った。

そんなわけで、最近のオタク女は昔ながらの「喪女」もいるけど、妊婦さんもお母さんもいる。2次創作は数ある趣味の一つに過ぎない。あと関係ないけど、この界隈はあんまりマウントの取り合いにならないのがいいなと思う。「私のほうが絵が上手い/文章が上手い」っていうライバル視はあるし人間関係のトラブルもゼロではないけど、「私のほうが女として上だ」っていうマウンティングは本当に起きない。推しのエロを求めている時点で女として上も下もないだろうってことだと思うんだけど、そういうところも私にとっては居心地がいい。

今はそんな環境で、せっせと2次創作小説を書いて楽しんでいる私である。意外な効果としては、2次創作を楽しむようになって、もともと好きだった読書がますます心に沁みるようになった。今までだったら流し読みしていたであろう表現が、「そっか、雨の描写はこうやって書けばいいんだ〜」など、もっと細かなところに目が行くようになったのだ。今回は、最近読んだ中で特に細かな描写に感動したアントニオ・タブッキの『時は老いをいそぐ』について、語らせてほしい。

記憶と老い、日が沈む前のような気怠い雰囲気

『時は老いをいそぐ』 は、イタリアの作家であるアントニオ・タブッキの短編集だ。しかし舞台はというとイタリアではなく、ブダペストであったり、モスクワであったり、テルアビブであったり、東欧や地中海地方ばかりである。そのせいか、作品全体にどこか物憂げな、日が沈む前のような気怠い雰囲気が漂っている。

私が特に好きなのは9つの短編の中でも、亡き妻にどうしても言えなかったことをとある作家の墓前で打ち明ける『亡者を食卓に』、旅先のホテルに向かうつもりがいつの間にか古い修道院にたどり着いてしまう『いきちがい』あたり。ちなみに雨の描写が美しい! と思って実際に自分の創作に取り入れたのは『ポタ、ポト、ポッタン、ポットン』だ(タイトルはもちろん雨の音)。

どの作品にも共通しているのは、記憶や老いがテーマであること。『亡者を食卓に』の主人公は、医師に「よく眠れていますか?」と質問されると、「潤った銀行口座、市街地にある豪奢なアパート、ヴァンゼーにあるバカンス用の別荘、ハンブルクで弁護士をしている息子とスーパーマーケット・チェーンの所有者に嫁いだ娘、そのすべてを持っている心穏やかな老紳士がよく眠れないなんてことがあるか?」と返す。しかしその後医者に詳細を尋ねられると、ついに「はい、時々あります、ドクター、でも人生は長いでしょう。ある程度の年齢になれば、もうこの世にはいない人たちのことを考えることもあります(p.62)」と白状する。どんな人生を送っていようと、人生の後半になれば誰だって、物思いに耽ることがある。それが、東欧や地中海地方の気怠い雰囲気と重なって、独特の余韻を残すのがこのタブッキの短編集だ。

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