たとえば私は会社を辞めた翌日、フリーになった初日に
金沢の近くの「白山比咩神社」に行きました。
フリー初日は気に入ったところに行って時間を過ごしたかったのです。
比咩神社は金沢からのんびり電車で田園風景を見ながら行くのも楽しいし、
最寄りの鶴来駅から小一時間歩いてたどり着くまでの街並みや景色も好きです。
近くには手取川という綺麗で勢いのある川が流れていて、
遠くに見える山々や初夏の新緑も美しいです。
比咩神社は祀られているのが「菊理媛尊(くくりひめのみこと)」という、縁結びや和合の女神様で、
フリーでやっていくにはそういうストーリーやそれにあった佇まいを
学びたいという気持ちで参拝しました。

一瞬、フリー初日だし、ご祈祷なども考えたのですが、
私は信仰として崇拝しているのではなく、
神様それぞれの在り方に敬意を払ったり、共感をしているだけなのです。
ご祈祷になるとその共感の関係性が崩れるし、
他のお寺や神社も行きにくくなりそうだったので、やめました。
私はミーハーな日本人の典型なので、いつも通り
「今日も来させていただいてありがとうございました。」
とだけ心の中で言って、多めのお賽銭を入れて帰りました。

お盆に生と死を見つめる

見えないものを信仰するのは自由ですし、 でも私の場合は取り敢えずあの世に行くか、生まれ変わりがあるかはわかりませんが
その時が来るギリギリまで、沢山のことを見たり聞いたり、
知ったりして自分で考えてみたいのです。

お盆は亡くなった人との心の距離が近くなる時期です。
悲しいかな人は普通に生きているだけだと
生のありがたみを忘れてしまいます。
たまには亡くなった先祖を思い出して、生きるってどういうことだったっけ?
ということを考えても良いのではないかと思います。

それでは良いお休みを。
盆ボヤージュ。
ほほほ。

Text/肉乃小路ニクヨ