• love
  • 2018.04.14

わたしの自己実現の証「大泉りか」で名前を呼んでくれる夫

2009年にできた新しい恋人は、大泉りかさんを「りかちゃん」と呼ぶ人でした。でも、「大泉りか」はペンネーム。恋人にぐらい本名で呼んでほしいという気持ちと、自己実現の証であるペンネームへの誇りの間を気持ちが揺れ動きます。

わたしをペンネームで呼ぶ恋人

ひとつのパソコンを2人で見つめながら微笑んでいるカップルの画像
by bruce mars

 2009年。付き合い始めたとほぼ同時に同棲することになった新しい恋人は、わたしのことを「りかちゃん」と呼ぶ人でした。

 というと、「それって当たり前なのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。けれども違うのです。わたしが原稿を発表する時に使用している「大泉りか」という名前はペンネームであって、実は姓も名も、まったく異なる名前なのです。

 そもそもポルノを本名で書く人はあまりいません。官能小説家の開田あやさんは、ペンネームではなく本名で執筆されていることを公表しているのですが、これはものすごく稀なことだと思います(ちなみに旦那様は怪獣絵師の開田裕治さん。ウルトラマンシリーズのほか、ゴジラから機動戦士ガンダム、最近では映画『レディ・プレイヤー1』の日本版ポスターも手掛けるすごい方)。

 ペンネームを使う利点は、プライベートと仕事を分けやすいことです。仕事の内容を知られたくない人には、ペンネームさえ知られなければ、基本的にはバレることはありません。逆に読者にも、私生活の部分を知られずに済みます。

 わたしが「大泉りか」というペンネームを使い始めたのは、2004年に講談社から『ファック・ミー・テンダー』という小説で作家としてデビューしたことがキッカケでした。それまでは「栗戸理花(クリトリカ)」というヒドい名前で、主にアダルト誌に原稿を寄稿したりエロいイベントを打ったりしていたのですが、版元から、その名前では出せないから改名しろと迫られたのです。その際に、出身地である大泉学園から取って、姓を「大泉」にすることに決めたのは、鶴見辰吾さんのことが頭に浮かんだからです。

 なぜ鶴見辰吾さんが関わってくるのか。それは、わたしが女子大生だった時代まで遡ります。

ペンネームは自己実現の証

 女子大生だった頃、わたしはとあるギョーカイ人のオジサンと仲良くしていて、週末ごとにクラブだパーティーだラウンジだと、あちこち連れまわされていました。そして、ある夜連れていかれたのが、鶴見辰吾さんのご自宅で開かれていたホームパーティーだったのでした。

 その際に、「僕は鶴見出身だから、鶴見辰吾なんだ」と言われたことが非常に強く印象に残っていて、ペンネームを考えなくてはならない時に、ふと思い出したのです。「もしも大泉の名前をペンネームにつければ、地元の書店で大々的に売ってくれるかもしれない」と淡い期待もありました。一応言っておきますが、鶴見さんの熱烈なファンだったわけではありません。

 ……少し話がそれてしまいましたが、2003年以降、出会い、知り合った人のほとんどから、わたしは「大泉さん」や「りかちゃん」と呼ばれるようになりました。その中からたまたま恋に落ちて、付き合うようになった男性たちも、出会ったばかりの頃こそ「りかちゃん」とペンネームで呼んでいましたが、ほどなくして皆、本名で呼ぶようになりました。わたしも本名で呼ばれるほうが、なんとなく特別感があって好きでした。

 が、一方では不満もありました。なぜならば、物書きである「大泉りか」やライター兼ヌードパフォーマーだった「栗戸理花」は、わたしの自己実現の証だったからです。本名で呼ばれることは、なんでもないわたしを認めてもらっているようで嬉しい反面、わたしが努力の末に勝ち取ったものを拒否されているような気分もあったのです。

「りかちゃん」のほうが自分らしくいられる

 さて、新しい恋人の話に戻します。彼は恋人同士になっても変わらず、わたしを「りかちゃん」と呼び続けました。それは、わたしが必死に作り上げてきたものを尊重されるようで嬉しくありました。けれども、プライベートな関係にある恋人に、本名ではない名前で呼ばれ続けることに、違和感も拭えませんでした。

 さらにもうひとつ本音を付け加えると、わたしの下半身がキュンとくるのは、本名で呼ばれた時でもありました。おそらくわたしは、男の支配欲やわたしに対する優越感が垣間見えた時に、欲情する性癖を持っているのです。

 ようするに、どっちで呼ばれても、不満は解決しないのです。そんな葛藤はつゆ知らず、新しい恋人はいつになってもわたしを本名で呼ぶことはなく、そしてそれは夫となった今になっても続いています。

 わたしの中で、本名とペンネームのどちらで呼ばれたいか、という問題については、なにも解決はしていませんが、ひとつだけあるのは、さすがに8年もの間、「りかちゃん」と呼ばれ続けて、すっかり「慣れた」ということです。

 かつては表の存在である「大泉りか」と、両親の娘であり隣にいる人の恋人でもある、私的な存在の「本名のわたし」とがはっきりと分かれて存在しました。けれど、ペンネームで呼ばれ続けることで、「大泉りか」の領域が広がりました。夫が「りかちゃん」と呼ぶことで、すっかりプライベートまでわたしは「大泉りか」になってしまったのです。

 慣れによって「大泉りか」と呼ばれることにすっかり抵抗がなくなってしまった今となっては、むしろそっちの名前で呼ばれるほうが生きやすくもあります。なぜなら、「大泉りか」は、わたしが生きたいように生きるために作ったキャラクターなのです。だから、その名前で呼ばれるほうが、ずっとある意味で“自分らしく”いられる。ただ、ひとつだけ困っていることといえば、近い将来、息子が「なんでママはりかちゃんって呼ばれているの?」と疑問を抱くであろうことですが、まぁその時はその時で考えればいいと思っています。

 最後に、このコラムを書くにあたり、気になって鶴見辰吾さんのwikiを見たところ、なんと東京出身で、港区立青山小学校から、成蹊中学校・高等学校に進学しているではないですか。っていうことは、わたしは、完全に、おそらくはご本人も覚えていないような些細な嘘に、人生を大きく左右されてしまったってことじゃないですか。愕然……。


――次週へ続く


Text/大泉りか

次回は<どうでもいい蕎麦屋での「共通の経験」がわたしと恋人を結びつける>です。
大泉りかさんが、近所の名店をあらかた行き尽くして、恋人に誘われたのは一番近所にある何の変哲もない蕎麦屋。いざ入ってみるとその味は……。何てことない経験の積み重ねがカップルを強く結びつけるのかもしれません。

関連キーワード

ライタープロフィール

大泉りか
キャバ嬢、SMショーのM女、ボディペインティングのモデルなどの経歴を経て、現在は官能小説家、ライトノベル作家。
今月の特集

AMのこぼれ話