他人の不倫に怒りをぶちまける人とは

 そんなつながりで先日話題に出たのが、今期ドラマの『あなたのことはそれほど』、そして、ちょうど6月10日からの映画版の公開に先駆けて、再放送していたドラマ版の『昼顔』の話でした。

 ともに人妻の不倫を題材とした話です。同じ立場の人妻たちは、いったいどんな感想を持っているのかと話を興味深く聞いていたところ、『昼顔』は、「斎藤工、いい、わかる~!」と好意的に受け入れられていますが、『あなたのことはそれほど』は、「ちょっとねぇ……」なんて苦笑い。

『昼顔』は婚外恋愛の甘さとつらさを描いたロマンティックな作品ですが、『あなたのことはそれほど』は恋の脳内麻薬でラリラリのヒロインの姿を描いていることが、不倫への批判になっているとも思うので、やっぱり共感を持って見るのはちょっと難しいですよね。けれど、共感こそできずとも、腹が立たないこと、「人のことは人のこととして放っておける」ということは、その人自身がいま、そこそこに「幸せである」という証拠だとも思うんです。

 というのも、人が不倫している話を聞いて、目くじらを立てて怒りをぶちまける人って、「過去に不倫された経験がある人」か、「自分が不倫していたことがある人」「本当は不倫願望があるのに、我慢している人」、そして「正義感の強すぎる人」のどれかです。「両親の不倫問題で、幼少期につらい思いをした人」っていうのもありますが、どちらにしても、「不倫願望があるのに、我慢している人」と「正義感の強すぎる人」以外は、「不倫で傷ついた経験がある人」たち。だからこそ、不倫する人たちに腹を立てたり忌み嫌ったりしてしまう。これは当然の感情だとも思います。

「正義感の強すぎる人」については、そういう性質だから仕方ない。もちろん真っ当で素晴らしいですが、だからといって、そのまっすぐな物差しを人に押し付けていいというわけではない。
「不倫願望があるのに、我慢している人」も物差しを押し付けがちですが、けれども、「ずるい」という気持ちが透けて見えます。「ずるい」というならば、自分もしてしまえばいいと思うのですが、やっぱりそこは、「正しくありたい」という気持ちや保身や臆病が邪魔をして出来ない。出来ないなら、「仕方ない」と納得すればいいのに、それも出来ないからこそ「ずるい」と思ってしまう。

 だから、人さまの不倫に必要以上に目くじらを立てている人を見ると、よほどに傷ついているか、フラストレーションが溜まってるんだなぁ、不幸そうだなぁ、と思います。逆に、人が不倫をしていても、「すごいねぇ」なんて笑って流せる人は「生活が幸せなんだろうなぁ」と思うわけです。

「ずるい」はわたしが外に飲みにいく夫に抱いているのと、同じ感情です。そして夫が飲みに行くことに、怒っていたくもないし、「すごいねぇ」なんて笑って流すことの出来ないわたしは、「母として正しくありたい」という気持ちに折り合いを付けてファミサポに息子をお願いし、外へと飲みに行くのです。

Text/大泉りか

次回は <男の辞書には「あざとい」という文字がないのか?バーで出会った女性の手練手管> です。
大泉りかさんがバーで友達と飲んでいると、知り合いの男性が女性と連れ立って入店。せっかくなので一緒に飲み始めると、その女性が何度も何度もグラスのコースターを床に落としてしまうのです……AM読者のみなさんもピーン!ときたかもしれません。自分に注目を集めるこういうあざとさ、男性は気づかないのでしょうか?