『(相手の)セックスが好き』ではなく『身体の相性がいい』

確かに『性格が合わない、顔は好きじゃない、身体の相性も悪い』のならばまだ見切りの付けようはあります。が、そのうちの1つでも、好ましいのならば、どうでしょうか。『性格が合う』『顔が好き』『セックスの相性がいい』のどれかひとつでも秀でていれば、「手放しがたい」と思うのも当然のことだと思うのです。

そして、その1つずつの要素をバラして考えてみると『性格だけが合う男』は、まだ離れようがある気がします。というのも『性格は合うが、顔は今さらどうでもいい……身体の相性も悪い』というのは、どちらかといえば長年付き合った同棲相手や夫婦が抱く不満に近い。情で結びついていることはあっても、それは恋という激情の前には脆く、おまけに家の引っ越しやら、離婚届けに印を押すといった煩わしい手続きもないわけで、執着を持っているほうが、恋をした瞬間に、あっという間に色褪せてしまう可能性が高いのでは、と思うのです。

では、残りの『顔が好き』と『身体の相性がいい』ですが、これはどちらも「相手の異性としての魅力にヤラれている」ということだと思います。「本能に近い部分で相手に惹かれているから、離れられない」という理屈です。が、『顔が好き』と『身体の相性がいい』は、本能に寄った恋慕に見えて根本に大きな違いがあるように思えます。

それは、『顔が好き』というのは、自分だけの欲望であるけれども、『身体の相性がいい』は「相手にとっても自分は特別な存在である」という要素を含んでいるからです。もしも、相手のセックスに惹かれている場合、『(相手の)セックスが好き』が『(相手の)顔が好き』と対になるもの。なのに、なぜ多くの女は『(相手の)セックスが好き』と言わずに『身体の相性がいい』と言うのか……それはプライドの問題としか思えません。

「愛して貰えないわたし」「人間として相手をして貰えないわたし」「一方的に捧げているだけのわたし」をどこかで認めたくない。ゆえに、相手も自分に何かしらの魅力を感じてくれていないと都合が悪い……女としての、人間としてのプライドを支えるために、『誰よりもセックスが合う』という揺るぎない事実が必要だからこそ、「自分と相手とのセックスは特別だ」ということを、殊更に口に出したがるのではないか、ということを、自戒を込めて思った次第であります。

Text/大泉りか