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「人のセックスを笑うな」ならぬ「あえて笑いたい人のセックス」とは

あえて笑いたい人のセックス

大泉りか 官能小説 人妻は不倫の夢を見るか Ashley Webb

 山崎ナオコーラさんの著書で『人のセックスを笑うな』という本がありますよね。実は読んではいないのですが、何度目にしても、いいタイトルだな、と思います。というのも、「変態」だとか「キモい」だとか言って『人のセックスを笑う』という行為をしている人を、たまーにお見かけしますが、その時点で人としてつまらない人だな、と思うからです。

 人間の持つ業の、どうしようもなさ、やるせなさをわからない人には魅力がないし色気もない…といいつつも、わたしも『人のセックスに文句は言う』わけですけどね。しかも非常に口うるさく。主に配慮やマナーや優しさといった面についてですが。

 さて、『人のセックスを笑う』という行為は、人の生まれ持った業である、性欲や嗜好をバカにすることであるからして、そんなことをする人間は品性がない…という前提がある上で、あえて笑いたいのが、セックスをすることを「仲良しする」と表現する人たちのセックスです。多くの場合、「パパタン」や「ダンナくん」とのコラボであったりして、「ホンキか…!」と問いただしたくなります。

 というと、「人のことなど放っておけばいいではないか」というのが正論ですが、しかし、目についてしまったからには何かモノ申したい。というか、なぜ「仲良し」という言葉に拒否反応を起こしているのか、どうして「気持ちワリー」と半笑いになってしまうのか、その理由をなんとか見つけ出したいと思います。

「仲良し」という言葉に感じるモヤモヤの原因

 ぱっと思い浮かぶのは、「仲良し」という言葉の幼稚さです。官能感のなさに加え、大人が自らの責任でもってすることなのに「仲良し」ってなんだよ、というモヤモヤが浮かぶわけです。ならば、中高校生ならば「仲良し」を使うのはいいのか、というと、やはり大人の女が使うよりは抵抗がない気がします。

 しかし、かつて「売春」という言葉が「援助交際」に置き換えられたのと同じように、セックスにまつわるエグみ――病気や妊娠とかのリスク――が薄まるのは否めません。
「仲良し」したその結果、悲しいことつらいこと、困ったことになってしまうのって、本末転倒ですよね。

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