親愛なるAM読者のみなさま、ごきげんよう。ものすごい愛です。
先日、北海道の石狩ふ頭で開催されたRISING SUN ROCK FESTIVALに行ってきました。
北海道の夏らしからぬ最高気温30℃越えの直射日光バシバシの中、熱中症にもならず、疲労も足の痛みも感じず、朝から晩まで元気いっぱいに動き回ってとても楽しい時間を過ごし、久しぶりに夏を満喫できたな、と。
深夜1時半に駅に到着してもなお元気が有り余っていたため、一緒に帰っていた友達に「今からびっくりドンキーに行かない?」と聞いたら「マジで絶交すんぞ」と怒られました。体力がありすぎると友達に縁を切られる可能性があるんですね……わたしと同族の体力バケモノのみなさんはお気をつけください。
前回の記事では、結婚を考えているバツイチの彼が毎月6万円の養育費を払っていて、将来的に「6万円があればもっと……」と頭に浮かび、彼を傷つけることに繋がらないかと結婚に踏み出せずにいる女性からの相談でした。
相談者の方には「毎月6万円の養育費ごと彼を愛さなくては……!」とプレッシャーに思うのではなく、様々な立ち向かい方・受け止め方を知ったうえで「不十分な部分も愛おしんだよな」と思えるようになっていただけたら幸いです。
恋愛は不確かなもの…?
長い付き合いの友人もつなぎとめたい
毎日ものすごい愛さんの本を読んでから眠りについています、大好きです!
結婚を軸とした将来についての相談になります。私は今大学生で、小学生からずっと仲の良い友人がいます。小中高大と同じ友人は同性で、お互い異性愛者なので恋愛感情を抱いたことはありません。尊敬していて気が楽で、大好きな友人です。
そして私には付き合って2年弱の恋人がいます。彼のことも心から大好きで、愛おしくて仕方がないです。遠距離ですが家族に紹介し、同棲の貯金を始め、将来のイメージをすることが増えました。
ただ、私は恋愛は不確かなものと思っていて、それを理由に結婚という人生の一大イベントを決めるのは怖いです。先程挙げた友人とは、日本で晴れて同性婚が認められた際には結婚したいねと話したことがあります。私は子供が欲しい願望もありませんし、友人と(結婚せずとも)同居生活をするという将来も魅力的だなと感じます。
二人を、過ごした時間の長さで天秤にかける気はありませんが、生活環境が変わることで現状が変化することが途方もなく不安です。どうにか両者を私の元に繋ぎ止めたいというのが本音です。
友人というふわっとしたものでなく、恋人、結婚相手といった肩書きがあれば、安心できると私は考えているのだと思います。幸せにしてほしいわけではなく、一緒に幸せになりたいです。
恋人には何の不満もありません。誠実で優しく、とても大きな存在です。それでも全ベットするのは怖いのです。(家庭環境が複雑で、両親共に不倫をしていたことがネガティブになっている原因かも知れません)
私も愛さんのように将来パートナーと幸せな毎日を過ごしたいです。生涯を共にする伴侶を決めるということに不安は全く無かったでしょうか? 10代の若造がこんなことを考えるのは杞憂かもしれませんが、ものすごい愛さんの意見をお聞かせ願います。(19歳)
不確かなのは恋愛だけなのか
10代の若造が~なんて思いませんよ、むしろ10代の人にもわたしが書いた記事を読んでいただけるなんて、うれしい限りです。
10代には10代の、30代には30代の悩みがあり、年齢なんて関係なく誰もが一生懸命悩んでいるはず。
最初にお伝えしておきますが、わたしはあなたの考えを否定するつもりはひとつもありませんし、あなたより年長者だからといってわたしの意見こそが正しいと決まっているわけでもありません。
わたしとあなたの生き方は違いますし、共通点があったとしても細かいディティールは異なりますから、この回答を読んで考えのズレを感じるかもしれません。
でも、こんな風に普段接することのない世代の、さらに見ず知らずの人の意見を聞く機会はあまりないと思いますから、あなたが考えていることに対して「わたしはこう思うよ」と真正面から伝えさせていただきますね。
まず、あなたが「恋愛は不確かなもの」と仰っている通り、わたしもそう思います。ですが、友情だって不確かなものではないでしょうか。
たしかに、恋愛関係においては誰かのたった一人の特別な存在になるのはとてもハードルが高く、たとえお付き合いできたとしてもどちらかに他に好きな人ができたり、体の関係を持ったりすると途端に破綻してしまう可能性が高いでしょう。
でも、恋愛と基準は違えど、友情関係においても破綻する可能性は常に孕んでいるとわたしは考えています。
学生のうちは所属しているコミュニティは狭く限定的です。ところがいざ社会に出ると、コミュニティの幅がグッと広がり、関わる人のタイプも様々になります。
働き出すと生活における仕事の比重が大きくなるため、考え方が変わっていったり、関わりの深い人の価値観に影響を受ける機会も多いでしょう。失敗体験や成功体験を重ねることで、これまで自覚していなかった自分の特性に気づいたり、お金を持つことによる生活スタイルの変化もある。
また、30代前後になれば、人によっては転職・結婚・出産・離婚といったイベントが発生し、それによっても考え方が変わったり、そういった経験をしている人が間近にいれば羨望や妬み嫉みの感情が湧いたり、自分の人生を見つめ直すきっかけにもなる。
自分自身は年齢を重ねていくにつれて変化していく中、でも友達は学生のときとずっと変わらないままで、その姿にもどかしさを感じる一方、友達は友達で変わってしまったこちらに怒りを感じるかもしれない。
どれだけ仲良しでも、ずっと同じ歩幅で人生を、というのは難しいと思います。人には人生が上手くいっているときとそうでないときがあり、そのバイオリズムがピタッと一致し続けることはないのですから、余裕がないときは相手に寛容でいられなくなったりするもの。
大人になるというのは、こういった「あの頃のままの心を持ちながら、あの頃のままの関係ではいられない、どうしたって仕方のないことだから」という認識を持つことだとわたしは思います。
もちろん、ほどよい距離感を保ちつつ、互いの変化を上手に受け入れながら仲良しのまま変わらず関係が続いていくこともあるでしょう。
実際、わたしもかれこれ20年近い付き合いの仲良しの友達が何人かおり、今も変わらず良好な関係が続いていて、そしてこれからも続けていきたいな、と切に願っています。
以前の記事でも少し触れましたが、わたしには十数年の付き合いの「この心地よい関係が一生続いていくんだろうな」と思っていた仲良しの友達がいました。「うちらズッ友じゃん!」とお互いに思っていましたし、今よりずっと若い頃は「40歳過ぎても独身だったら一緒に住もうね!」なんて盛り上がったこともありました。
様々な要因が重なり、疎遠……というかほぼ絶交のような感じになってしまったのですが、年齢を重ねてそれぞれ違う人生を歩んだからこそ仕方のない結果だと受け止めています。
「あなたもいつかこうなるよ」と決めつけて呪いをかけているわけではないので、心配しないでくださいね。
ただ、そういう経験をしたからこそ、今いる友達のことを目いっぱい大事にしていこうと思う反面、一生モノだと信じてやまなかった友情に諦念を抱く瞬間が訪れたとしてもなんらおかしくはないな、という認識を持つようになりました。
わたしがまだ学生だった頃、友達とプリクラを撮ったあとに“男一瞬、ダチ一生”という文言を描くのが流行っていましたが、歳を重ねて思うのはそうとは限らないよな、と。
長くなってしまいましたが、あなたに何をお伝えしたいかというと、受け入れがたいと感じる基準は違えど、恋愛も友情も同じだけ不確かなものだということ。だからこそ、見返りを求めず、恋愛だろうが友情だろうが好きな相手をその瞬間で力いっぱい大事にしていくのだと思います。