“繋ぎとめておきたい”という思考

さて、あなたは「恋愛は不確かなもの(=友情は確固たるもの)」という認識を持ちながら、それに反して、ふわっとした関係の友情は恋人や夫婦になることで繋ぎとめられると思っているようですが、それは社会的なイメージの話をしているのでしょうか?
たしかに、現代の日本において社会福祉サービスを受けるには夫婦であることが前提だったり、一緒に暮らすときに「仲良しの友達同士です」よりも「結婚を前提とした同棲です」のほうが賃貸契約を結びやすい、といったことは現実問題あるのでしょうが……。
「恋人になりましょう」「夫婦になりましょう」というのは一種の固い契約のようですが、別に永年ではないので状況によってはいつだって反古できるものです。

たとえば、あなたが今の彼と別れてその友達と一緒に暮らすとしましょう。それは選択肢のひとつとして素敵なことですし、長い付き合いの仲良しの友達との生活はきっと楽しいものになるはず。日本の法律が変わり、同性婚が認められるようになったら(そもそも個人の生き方に認める/認めないというジャッジが下されるのは理解できないし、さっさと同性婚できるようになってくれと思いますが……)、その友達と結婚するのもいいと思います。恋愛感情がなくったって、生涯をともにすると誓いを立ててはいけない決まりなんてありませんしね。
ですが、同居しようが、結婚しようが、それは双方の意志に基づくものであり、永遠に相手を繋ぎとめられる、自分を繋ぎとめてもらえる唯一無二の最強カードではないのです。

相談文から、あなたは彼と結婚することで大好きな友達との関係性が変わってしまうのではないかと不安に思っているように感じました。
前半でビビらせるようなことを言っておいてなんですが、結婚したからといって友情がなくなってしまうわけでないのです。
なんとなく、「彼と友達のどちらかを選ばなくちゃ」と思っているように感じたのですが……恋人と友達ってまったくの別物ではありませんか?

そもそも恋人と友達を比べる必要なんてないのではないでしょうか。それぞれ見せる顔、話したいこと、聞いてほしいこと、共有したいこと、心を許せる部分は違って当然です。
種類が違うのですから、優劣をつけてどちらかだけを選ばなくちゃ、と思う必要はありませんよ。

あなたの、恋人も友達も自分のもとに“繋ぎとめておきたい”という思考が少し心配です。
これほど気が合う人はいない! これ以上の人にはもう一生出会えない! と思える人がいるのは、それが恋人だろうが友達だろうがとても素晴らしいことだと思います。
恋人は恋人として、友達は友達として、よい関係のまま人生を送りたいという気持ちはとてもよくわかります。
そして、恋人との関係も友達との関係も、良好なまま継続できる可能性があるとも思います。
でも、その確約はありませんし、どちらかだけを選んだとしても、選んだ相手と一生良好な関係でいられるという保証もありません。

彼と結婚して友達と今のままの関係を望んでいたとしても、もしかしたらその友達は社会に出てから変わってしまうかもしれないし、就職や結婚で遠く離れたところに行ってしまうかもしれない。彼と別れて友達と暮らす選択をしても、10年後にはどちらかに好きな人が現れてその人と生涯をともにしたいと思うかもしれない。すべて、時間が経ってみないとわからないことなのです。

あなたは「生活環境が変わることで現状すらも変化してしまう」と怯えているようですが、変化しないほうがずっとずっとこわいことだとわたしは思います。
何を願うかは個人の自由ですが、人間関係は流動的で人の心は水もの。誰かを繋ぎとめておく術は存在しないのではないでしょうか。

変化には抗えませんが、変化する中で生き方や人との接し方はいくらでも覚えていけますし、変わっていくことは決して悪いことばかりではなく、いいことだってあります。今のあなたの考え方も、これから先変化するかもしれませんしね。

変化していく過程で楽しさを享受できる反面、いつまでもさみしさは付きまとうもの。先に話した友人との関係が変わってしまったとき、決してすんなり受け入れられたわけではありませんでしたが、「仕方がなかったんだよな」と事実を受け止めることはできたのは「やれるだけのことをやった」と、わかり合いたいと心を砕いた時間があったからだと思っています。そして、今後夫と上手くいかなくて離れることになったとしても、きっとわたしはやれるだけのことをやるはずだと胸を張って言えます。

様々な経験をすることで、「何がどうなってしまうのだろう」といった種類や大きさすらわからない恐怖から、「嫌だけれど、どうにかやれるもの」と恐怖の輪郭が見えてくるのではないでしょうか。