「夢なんか見ちゃいけない」と思っていた
なんと、この連載をはじめてから100回目を迎えたらしい。
もともと私はひとりでいる時間が好きであったこと、あまりマイナスの感情を持たないことをきっかけにこの連載が始まっている。ひとり遊びについてああだこうだ書いていたのが4~5年ほど前の話で、私の周りだけかもしれないが、なんとなく当時よりは1人で行動することに対する後ろめたさみたいなものは緩和されたのかな。いいことだ。こういうのも時代の流れのひとつであるように思う。
今では、こうして趣味だけではなくて仕事、ジェンダー、生活、ありとあらゆることを書いている。ひとり“あそび”とは言えないけれど、東京に住む一人暮らしの女の生活には常に孤独が付きまとう。基本的に1人でなんでも決断するし、すべて自力でやる。部屋にでる虫も絶対に仕留めるし、地震も耐えるし、ジャムの蓋も開けますよ。なぜなら一人なので。そんな感じで、私の生活を文章にし続け、気づけば100回目を迎えたようだ。2冊も本を出したし、トークイベントもした。テレビにも出た。友達も増えたし、交友関係も広がった気もする。
こうした執筆は、会社員として働きながら隙間時間を見つけて行っている。本職を辞める気は、今のところない。そりゃ「執筆業1本で生きていけたらいいな」と思わなくはないけれど、文章で食べていける人間ってごくわずかで、基本的に金にならない。その割に目立つし、叩かれる。割に合わない。全然派手な仕事でもない。
友達にも何度も「ライターだけで本気でやっていこうと思えばできるんじゃないの?」と聞かれ、その度に「私はやりたいことから逃げているだけなのでは? 後ろ盾がないのが怖いだけなんじゃ?」と思ったりもしたが、その考え方も落ち着いた。たぶん、私にはこの二足わらじで細々とやっていく方が合っている。努力をしなかったわけでも逃げているわけでもない。もちろん、私には才能がなかっただけなのかもしれない。でも、会社員で働いているからこそ書けることなんて、いくらでもあるのだ。
そもそも私は文章を書くことを仕事にできるなんてまったく思ってもいなかった。幼い頃から普通に会社員として生きていくと信じていたし、“普通”や“一般的である”という規格からはみ出ることは絶対にないはずだった。「いつか本を出したい」と話をしたら絶対に笑われたし、その度に「夢なんか見ちゃいけないんだな」と思っていた。結局のところ、夢や目標にしていたわけではなくて、私の場合は偶然が重なっただけなのだ。
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