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村上春樹の「さみしい」物語の主人公はたいてい都市で生活している

「さみしさ」を解消しようとしてはいけない

さみしさは敵かの画像

 藪からスティックな話なのだけど、実は私、結婚式が大嫌いである。私の年齢はもうすぐ三十だが、参加した結婚式よりも、参加を断った結婚式のほうが多い。もちろん、これが決して褒められた話ではないことは十分に承知している。

 結婚式(披露宴)が嫌いな理由はいくつかあって、まず、新札を用意したり、ご祝儀袋に筆ペンでぷるぷるしながら書いたりする作業が苦痛でならない。それから、学生時代の友人の式に出席する際は、同級生と世間話として近況報告をしなくてはいけないのが嫌である。
極め付けは、新婦が涙しつつ読む、親への手紙だ。あれを見るともらい泣きしそうになる反面、「お前は昔、もっとロックでリベラルな奴だった! それがなんだ、いつの間にこんな保守層に成り下がりやがって!」と社会に対する憎しみが湧いてくる。

 あとはやっぱり、先にそれを言えという感じだが、自分だけが未婚のまま取り残されてしまう感覚が、どこかさみしいのだろう。

結婚式は命を懸けて出席しろ!

 あまりにも嫌いなので、いっとき結婚式を批判する正当な理由を探そうと、世界各国に散らばる民族の、婚姻の習慣について調べてみたことがある。
いわずもがなだけど、世界にはいろいろな文化や伝統がある。婚姻という制度を持たない、婚姻関係を結んでも披露宴にあたるような「式」を特に行わないなど、この広い世界にはそういった民族が必ずいるはずだと思ったのだ。
今我々が行っているこの「結婚式」とは、人類にとって絶対的なものではない。私はそれを証明したかった。もちろん、この考え方がとてつもなく歪んでいることは十分に承知している。

 しかし結論からいうと、世界広しといえど、結婚式という慣習を特に持たない民族というのは、どうも存在しないらしかった。むしろ、今の日本社会の披露宴なんて、ライトでかわいいものだ。
親族間の結び付きがもっと強固なミャンマーの山奥に住む少数民族などは、「結婚式」となったら何があっても、這ってでも、命を懸けて出席しなければならない。『走れメロス』でメロスは友人を人質に妹の結婚式へ命懸けで赴くけれども、たぶんノリとしてはあんな感じである。

 親族とただの友人の結婚式とではまたちがうのかもしれないが、とりあえずミャンマーの山奥や『走れメロス』の世界では、「同級生に近況報告をするのが嫌」とかヌルいこといっていられないのは確かだ。

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