都市生活者はみんなさみしい

 村上春樹でも、スコット・フィッツジェラルドでも、ポール・オースターでも、「さみしい」物語の主人公はいつだって都市で生活している。
一方で、ミャンマーの山奥にいる少数民族や、アフリカで六人くらい子供を育てている太鼓腹のお母さんは、きっと私たちみたいなさみしさを感じることはないだろう。彼らは親族や自然という、大きな大きな共同体に身を委ねている。そして、そういったしがらみから解放されることを選んだ私たちが「さみしい」と感じるのは、ある意味では必然というか、自由と引き換えに得た必要悪のようなものだ。

 友人の結婚式に出席した後の、ちょっとぽっかり穴が空いたような感じ。たまの夜に降ってくる、「誰も私のことをわかってくれないんじゃないか」という不安。そういうものはぜんぶ、都市で生活することを選んだ者ならば、抱えて生きていかなければならないものだ。

 好きな人と一緒に住んだり、子供を産んだりすればいくらか軽減されるかもしれないけれど、よくよく話を聞いてみると、既婚者でも子持ちのママでも、さみしいときはさみしいらしい。
都市生活者である限り、本質的にはこの「さみしさ」から逃れることは誰もできないのだ。

Text/ チェコ好き

※2016年12月27日に「SOLO」で掲載しました