ポイ活と筋トレの話題はなぜ虚しくなる?『ハワーズ・エンド』が浮き彫りにするもの

by Emma Simpson

2013〜2016年の私がまだ20代後半だった頃、Twitterのタイムラインや周囲は「いかにして金を稼ぐか(仕事)」と「いかにして異性にモテるか(恋愛)」の話題で、常に持ちきりだった記憶がある。ほんの数年前の話だけど、当時はフリーランスやブロガーがブームになっていたり、あるいは女性や性的マイノリティへの意識もまだまだ低い時代だったのだ。

私はどちらの話題とも少し距離をとっていたつもりだったけど、当然ながら「そういう話題には興味ありませんので!」と完全NOを貫けるほど聖人でもなかった。つまりまあ、「金」の話にも「恋愛」の話題にも、一丁前に釣られしっかり巻き込まれていたわけである。若かったな〜。

しかし、時は流れて2022年(明けましておめでとうございます!)。あの頃「仕事(金)」と「恋愛」の話題で持ちきりだったタイムラインは今どうなっているかというと、お金の話題は相変わらず人気だが、それは「いかにして金を稼ぐか」という仕事の話ではなく、どちらかというとiDeCoや積立NISA、ふるさと納税、そしてポイ活など、”生き方”ではなく小手先の知恵の話になってしまった(念のため言っておくと、小手先の知恵を馬鹿にしているわけではない。特に私のような独身は、最終的に頼れるものは金なので……)。

また、結婚した人が多いためか恋愛の話題はさすがに下火になり、代わりに台頭してきたのが「健康」である。いや、わかる。すごくわかるけど! ポイ活と筋トレの話題で持ちきりの周囲を見渡すと、私はなんとなく、虚しくなってしまうのだった。別に昔のほうがよかったなんて思っていないけど、この虚しさは何なのか。

そんな正月に思い出すのは、E.M.フォースター『ハワーズ・エンド』 ( 河出書房新社,池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)に出てくる「緯(よこいと)がなんだろうと、現金が文明の経(たていと)なんです」という、主人公の女性のセリフだ。

資産と階級の物語、『ハワーズ・エンド』

『ハワーズ・エンド』は1910年代に発表されたイギリスの小説で、知的な中産階級のシュレーゲル家と、現実主義の実業家ウィルコックス家の交流を描いた作品である。シュレーゲル家の長女・主人公のマーガレット(愛称:メグ)は、ウィルコックス家の妻ルースと親しくなり、ルースはウィルコックス家の別荘である「ハワーズ・エンド」を、マーガレットに譲るとメモに残して亡くなってしまう。メモは老人の戯言と見なされ一度は処分されるものの、ウィルコックス家の当主ヘンリーとマーガレットがその後急接近し、やがて二人は婚約する。そして結局、ルースの望み通り、「ハワーズ・エンド」はマーガレットの手に渡るのだ。

『ハワーズ・エンド』 では、現金――資産や階級の話が物語の随所に登場する。シュレーゲル家の次女ヘレンが労働者階級のレオナードと不倫の恋に落ちたり、ヘンリーとレオナードの妻がかつて愛人関係にあったことが後に発覚したりなど、人間関係が入り乱れまくる中、「家」や「階級」がその人柄を際立たせている。中でも、労働者階級のレオナードが失業したときに言う「わたしには仕事を見つけることはもうできないんです。もしわたしが金持ちだったならば、一つの仕事に失敗したら別な仕事が始められますが、わたしにはそれができない(p.317)」というセリフは印象的だと思う。面接を受けようにも面接場所に行くための交通費の工面に苦労するシングルマザーの話などを聞くと、1910年代のイギリスと現代の日本の状況に似たところがあるのがわかり、愕然としてしまう。

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