人の価値なんて相対的で流動的

 世の中の「すごい人」がどうやって決まるか。かつて、私の尊敬する人が教えてくれた。

「既にすごいと思われてる人に、すごい!と思われたら、すごい人なのだ」

 冗談みたいだけど、色々なことが腑に落ちて、私は非常に感動した。つまりは、絶対的な価値なんてないのだ。
そのことに気づいていない人もいれば、気づいていながら自分に箔をつけるためにわざと真実を明かさない人もいる。
いずれにせよ、私自身はものの価値なんてそれだけ相対的、流動的なものと思っているから、自分の価値観に揺るぎない自信を持った上で、求めてもいない他人に堂々と強いることができる人というのを基本的には信用していない。

“You may think I’m small, I have a universe in my mind.”
「あなたには私がちっぽけな存在に見えるかもしれないけれど、私の頭の中には宇宙が広がっている」

 これは中学生の頃、英語の教科書に載っていたオノヨーコの言葉である(残念ながら私の教養は大体中学生の頃で止まっているのだ。)確か、知人に何気なく「子猫ちゃん」と言われたことに対する返答だったと記憶している。
子供だった当時は、悪意もなく、むしろ「子猫ちゃん」なんてどちらかといえば好意を示してきた相手にどうしてこんなこと言うんだろうと、相手の方を不憫に思ったりもしたけれど、大人になった今となってはよく分かる。

 心ない人は心なく、また策士であれば策略的に、他人の大きな宇宙を、自分の持っている小さな箱に押し込めようとしてくるのだ。
誰が何を言ってこようと、自分の頭の中にある大きな宇宙を守らなきゃいけない。私はそんな風に思うのだ。

Text/紫原明子

※2015年9月23日に「SOLO」で掲載しました