恋愛工学『ぼくは愛を証明しようと思う。』はおひとりさまの敵か、味方か

重要な決断であればあるほど自分で決めるのには勇気がいる

自転車に腰掛けながら黄昏る女性の画像

 たとえば奥さんが「晩御飯何がいい?」と尋ねた際、旦那さんが「なんでもいい」と答えては顰蹙を買う、という話は今日、多くの人が知るところである。献立をはじめとし、毎日何かを決断するというのは非常に骨が折れることで、できることなら誰かに代わってほしいとすら思うもの。
これは何も女性に限った話でなくて、男性だってそうだ。自分はお小遣い制で、専業主婦の妻に家の中の全権を握らせているケースも少なくない。動機がすべて妻の恐怖政治によるものとは限らず、たとえば家庭の外で、大きな責任を伴うたくさんの決定を下さなければいけない者にとって、せめて家の中の決断を信頼できる妻に委ねられるというのはありがたいことでもあるのだ。(多少の不満はあっても……。)

 何かを決めるのにはどうしたって責任を伴う。結果によっては、あのときああしなければ、と後悔することだってある。自分で決めた以上、人のせいにするわけにもいかない。リスクを伴う重要な決断であればあるほど人任せにできないけれど、重要な決断であればあるほど、自分で決めるのには勇気がいる。
こういう理由で恋愛が難しい。付き合うか付き合わないか、セックスするかしないかという決断は、自分の未来の一部を、あるいは体の一部を、相手に委ねるか委ねないかの決断をするに等しいわけで、かなりのリスクを伴う。

……で、こういうことを考えるにつけ、今話題の恋愛工学、なんだかんだ言って本当にうまくできているなと思うのだ。