「なんとしてでもお金を手に入れて欲しい」と100年前にヴァージニア・ウルフは熱っぽく語った

自由でいるためのお金

『自由でいるためのお金』 by Cosmic Timetraveler

『レディ・バード』を撮ったグレタ・ガーウィグ監督があの古典的名作を!? ということで話題になった『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を、外出自粛生活が明けた今、映画館で観た人も少なからずいるのではだろうか。この映画に、独身で作家を目指す次女のジョーが、叔母から結婚するよう説教されるシーンがある。しかし、結婚を勧める叔母自身もまた独身。なのでジョーは「でもそういう叔母様も独身では……」と、やんわり矛盾を指摘する。すると叔母様は「私はいいの。お金持ちだから!」と、ピシャリとジョーに返すのだ。ちょっとした笑いを誘うシーンではあるのだけど、個人的にはこの映画で、良い意味で引っかかった場面でもあった。

お金持ちの女性だったら独身でも許されるけど、お金のない女性に独身は許されない。南北戦争をやっていた『若草物語』の時代の女性が仕事をして1人で身を立てることは相当難しかったので、叔母様のいう「お金持ち」とは、資産や不労所得があることを意味していた。一方現代は、女性が仕事をして1人で身を立てることは、少なくとも『若草物語』の時代よりは易しい。しかしいまだに男性と比べると、非正規雇用や低賃金で働かざるを得ない女性が多いのも現実である。「女性にとって、結婚は経済問題である」とは『若草物語』にも出てきた言葉だけど、これは「高収入の旦那を捕まえてタワマンに住みたい!」とか、そんな生ぬるい話ではない。最近読んだヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』にお金のことが書かれていたことも相まって、私は「お金と女性」という問題について、改めて考えてしまった。

お金と自分ひとりの部屋を持たなければならない

『自分ひとりの部屋』は、『ダロウェイ夫人』などの著作で知られるヴァージニア・ウルフが、1928年にケンブリッジ大学の女子学生に向けた講演がもとになっている。テーマは「女性と小説」。ウルフいわく、「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たなければならない」らしい。AMの読者で小説を書きたいと思っている女性はそう多くはないと思うけど、小説家志望でなくても、これはけっこうドキッとさせられる言葉だと思う。ちなみにここでいう「お金」とは、訳者の片山亜紀さんによると、今の日本だとだいたい年収500万円くらいに相当するらしい。年収500万円は、努力次第で誰もが稼げる金額とは言い難い。貧しい中で筆1本によって身を立てた作家だっていないことはないし、ウルフ先生、ちょいとハードル高すぎませんか? という感想を持ってもおかしくない。

突っ込みどころがまったくないわけではないが、それでもドキッとさせられてしまうのは、この言葉がある種の真実に通じてもいるからだろう。「女性が小説を書こうと思うなら」は、「女性が(というか性別は関係なく、人間が)自由でいるためには」と言い換えてもいい。人間が自由でいるためには、人生の選択をあれこれ言われないようにするためには、お金と、自分ひとりの部屋が必要だ。お金は年収500万円もなくていいと思うけど、とりあえず、自分1人を自由にさせられるくらいの額。部屋も、ウルフは「鍵付きの自分だけの部屋」と物質的なものとして語っているけど、もう少し象徴的な意味で「誰も入って来られない心の中にある自分だけのスペース」くらいでいいのではないかと思う。私の解釈はウルフの主張からはだいぶハードルを下げているけど、これならけっこう納得できる。